2012年ドラフトで、2位が三嶋、そして6位だったのが宮﨑。天才的なバットコントロールで首位打者も獲得するなどその後の活躍は言うまでもない。大谷、藤浪晋太郎、小川泰弘、鈴木誠也……2012年ドラフトはその後チームの中核となる選手が多数入団した「当たり年」と言われている。
その中で三嶋が特に思い入れが深いと話すのが、WBC2026メンバーでもある菅野智之だ。
「菅野さんのことは大学時代から知っていて、法政大学で一つ先輩だった三上(朋也、元DeNA・巨人)さんが『菅野は他のピッチャーとは全然違う』と言っていたのが最初の印象でした。三上さんがそこまで言うなんて本当に珍しかったから」
「現役時代は治療院が一緒だったり、オールスターで少し話したくらいですが、もっと近くにいたらたくさん野球の話をしたかったなと思います。僕もスライダーを武器にしていましたし、菅野さんもそう。一度スライダーについて話を聞きたくて、治療院の先生に「菅野さんに繋いでもらえませんか」とお願いしたことがあるんです。そうしたら、僕が思っていた答え以上のものをたくさん返してくれました」
「僕が今まで関わってきた中で、素晴らしい方はたくさんいますけど、ピッチャーでは菅野さんが一番だなと思ってます。ジャイアンツでエースに君臨し続けて、いいとき悪いときありながら堂々と投げ続ける姿に、僕は圧倒されてました。どこか不具合がある状態であっても工夫して投げ切ることが多々あると話してたんですよね。僕は割と故障の少ないタイプだったので『おまえが羨ましいよ』と言われたことがある。僕としては逆に『どこか悪かったんですか!?』って聞き返したくなるくらい、マウンドでの菅野さんはそんなところ一切見せなかったから」
突然おとずれた難病、そして歩行も困難に…
しかし、故障が少なかったという三嶋にも突然試練がおとずれた。2022年8月に国指定の難病「胸椎黄色靱帯骨化症」の手術を受ける。引退セレモニーで流れたVTRの中で、当時の担当医が「この状態でよく投げていたなと」というほど、三嶋の体は病に蝕まれていた。
「最初は信じてなかったです。当たり前のことができなくなるなんて、野球ができなくなるなんて。でも心が信じない前に、体が悲鳴をあげていました」
歩行も困難になるほどの状態から奇跡の復活を遂げた三嶋。彼をそこまで奮い立たせたのは、「負け」の記憶と、「仲間」の存在だった。
