思想家・柳宗悦(1889~1961)は陶芸家・濱田庄司らとともに1920年代に「民芸」という概念をつくり、それに基づいた社会変革を目指した。「民芸」とは民衆的工芸のこと。つまり、名もなき庶民が生み出してきた工芸品のことだが、狭義の工芸に留まらず、風土に根ざした生活文化全般を表す。柳たちは、それによって、資本主義社会が窒息させつつあった自分たちの暮らしを再建しようとした。その思想と活動は時代が行き詰まるたびに注目を集め、再評価されてきた。
民芸の現代における可能性を探求する哲学者・鞍田崇さんは2000年代以降、暮らしのなかに民芸を求める人が多くなってきたと言う。今なぜ民芸なのだろうか。
「日本民藝館の館長でもある工業デザイナーの深澤直人さんの視点が参考になるでしょう。深澤さんは、現代の住空間から、どんどんものが消えている点に注目されています。テレビは壁かけになり、壁そのものになりつつある。また、かつては旅に出るなら、鞄に時刻表やカメラ、本を詰め込んだものですが、今やスマホがあれば事足りる。すべてスマホの機能に還元され、ものは不要なわけですよね。いずれも便利さを求めた結果ですが、実は僕らはそれだけでは満たされない。深澤さんの言葉を借りれば、〈うるおい〉が欠け、むしろものの存在を求める。その欲求が人々を民芸へと向かわせているのではないでしょうか」
高まる民芸への関心に応えて鞍田さんは、今春NHKのEテレ「趣味どきっ! 私の好きな民芸」に出演し、各地で民芸を生み出している人々の生き方を紹介した。そこに、今求められている〈うるおい〉や〈ぬくもり〉のヒントがあると考えたからだと言う。
「人間が生きている実感を得るためには、ものが欠かせないのだと思います。とりわけ、自然との接続を呼び覚ますようなものですね。福島県昭和村でのフィールドワークで聞いた『山変わんねえな』ということばが強く印象に残っています。村に住んでいるおじいさんの弟が帰郷して、かつて住んでいた部屋の窓越しに山を見て発したことばです。風景だけでなく、部屋、窓、ひいては村の暮らしが変わっていなかったからこそ出たことばでしょう。弟さんは村の自然と自分の生命の結びつきをすぐに思い出し、体感できた。柳が『民芸』と呼んだのは、この暮らしを支えてきたものの総体だと思います。近代社会はいつでもどこでも通用するユニバーサルな大量生産品をつくり出し、しかもそれすらもはやほとんど必要ない生活を実現しつつあるけれども、それが行き渡りすぎると、人間は地に足がつかなくなって生きた心地がしない。生きている実感を取り戻すことこそが、民芸の課題であり可能性なんだと思います」
くらたたかし/1970年兵庫県生まれ。現在、明治大学理工学部准教授。9月29日松屋銀座で銀座・手仕事直売所10周年記念トークに出演(申込は9月5日より松屋ウェブサイトにて)。10月3日よりNHKラジオ第2「カルチャーラジオ」で民芸と茶の湯について講義(水曜20:30~21:00、全13回)