約100社から落とされ続け……それでも諦めなかったワケ

――それでもアナウンサーを諦めなかったのはどうしてでしょうか。

佐田 自分の中では「負けたくない」という気持ちと、大学生の時に通っていたテレビ朝日アスクの中山貴雄校長が生徒に語った「アナウンサーは、なってから席替えが可能だから」という言葉のおかげです。要はキー局、準キー局に落ちたとしても、地方局に滑り込めば、そこからフリーアナウンサーに転身して全国放送に出られたりとキャリアの逆転はできるということです。その言葉を希望に「どんな地方でも受けよう」と頑張れました。

――佐田さんは最終的に瀬戸内海放送のアナウンサーになりますが、トータルでどのくらいのテレビ局を受けたんでしょうか。

ADVERTISEMENT

佐田 エントリーシートで落ちたところも含めると100社はいくかもしれません。面接に行くためには旅費もかかるので「これは果たしてペイできるんだろうか。アナウンサーになれなかった場合、ただの無駄金になるんじゃないか」と、お金を払ってくれた親への申し訳なさもありました。

――だからこそ瀬戸内海放送での採用が決まった時は相当うれしかったのではないですか。

佐田 安堵の方が先でした。そこから「本当にアナウンサーになれるんだ」という喜びが、後からじわじわ湧いてきたという感じでした。

 

「全国区」を目指す上で、出演を狙っていた番組とは?

――念願のアナウンサーになってから、それまで描いた理想とのギャップなどはありましたか。

佐田 もともと情報番組がやりたかったんですが、私が入った局には報道番組しかなかったんです。なので報道番組の中で、情報番組で扱うようないわゆる「やわネタ(=やわらかいネタ)」を、自分で取材してやっていました。

 あと四国エリアで一番知名度のあるアナウンサーになりたいという思いはずっと持っていました。ただ、地方で有名なアナウンサーって、地元のバラエティー番組に出て人気が出るパターンが多いんですよ。報道番組しかできない中ではそのやり方では難しい。だったら、せめて自分の強みを見つけなきゃと地方局時代はすごく迷走をしていました。

 スイーツコンシェルジュの資格を取って、スイーツコーナーを自分で作ればいいのではと思って、資格を取ったこともあります。他にも地方局のアナウンサーにとって『朝だ!生です旅サラダ』(朝日放送)の生中継コーナーは全国放送に出られるチャンスなので、絶対出たいと思っていました。