「暴走アナ」として話題に
――『旅サラダ』出演はどういう流れになるんですか。
佐田 『旅サラダ』に出られるアナウンサーは局に一人なので、まずは局内での選抜になるんです。みんな狙っている番組なんですが、私も「絶対これは出たい」と社内で言い続けていたんです。それでありがたいことに1年目の夏から『旅サラダ』に出演することができて。
そこで当時中継リポーターだったラッシャー板前さんとの絡みが好評で、話を聞かない“暴走アナ”として気に入ってもらえたようです(笑)。その後も2回、3回と出演することができました。
――全国放送出演の反響は大きかったですか。
佐田 インスタのフォロワーさんが急に増えたりはしましたが、ものすごく大きいというわけではありませんでした。でも「やるしかない」という感じでやっていました。局内でも「全国放送に1回でも多く映る」という気概だけは誰にも負けなかったと思います。
全国放送にいかに映るか、命をかけて試行錯誤
――今の佐田さんのイメージと違いますね。ハングリー精神が強い。
佐田 全国放送の『スーパーJチャンネル』(テレビ朝日)で地方局のアナウンサーが映るタイミングは、初雪か、桜の開花か、猛暑日のタイミングなんです。なので、雪が降れば一番に外に飛び出していましたし、桜はいつ開花するか分からないので、その時期は毎日標本木に行って「桜が開花しました」という瞬間を他の人に取られないようにしていました(笑)。
リポートの時間も、35秒くらいの短いバージョンから、結構長めのものまで、5パターンくらい撮って『スーパーJチャンネル』のディレクターに送っていました。見つけてもらいやすくなるように、リポート内容も全部文字起こしして「何分:佐田志歩リポート」と送ってました。
――それは佐田さん以外もやっていらっしゃるんですか?
佐田 そこまで命をかけて全国放送に映ろうとしている人は多分いなかったと思います(笑)。
――なぜ、そこまで全国放送に出たいという思いが強かったんでしょうか?
佐田 実は地方局だと、本当はいいVTRを作る方が評価が上がり、全国放送に出たとしてもそこまで評価は上がらないんです。それでも全国に出たら、大阪の母も見てくれますし、何か一つ「アナウンサーになった」という感触を得られる気がしたんです。なので、そこはぶれずに4年間やっていました。
撮影:志水隆/文藝春秋
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