背後から低い声で「昨日のタコスはうまかったか?」

 時間にして10分か1時間かわからないが、真夜中の訪問者が立ち去ったかわからないまま、いつの間にか私は眠りに落ちていた。そして、朝になり部屋の前に誰もいないのが確認できると、タバコでも吸おうと思い、部屋を出てホテルの喫煙所に移動した。ホテルの一階は吹き抜けになっている。外部から通り抜けできる設計ではあるが、見通せる場所にフロントが設置されていることもあって、外部の人間が入ってくるような場所というわけでもない。

 今日の取材はどうなるだろうか。

 そんなことをぼんやり考えていると、背後から男の声がした。

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「昨日のタコスは美味(うま)かったか」

 低く抑えた英語だった。確かに前夜はタコス屋に行った。美味しくて何個も食べて、コロナビールで流し込んだ。取材が必ずしも順調ではないことを忘れられるぐらいのご機嫌な夜だった。だが、なぜそれを知っているのか。いや、それ以前に、なぜ英語なのか。

 アメリカに隣接する国ではあるが、誰もが英語を話せるわけでもない。どちらかといえばアンチアメリカのスタンスから、英語を使わない者も多い。都市部の若者ならまだしも、ここはミチョアカン。田舎で英語を使う必要はないし、使えない人間がほとんどだ。

メキシコ国内の地図。接触した自警団はアパツィンガンを拠点にしていた(書籍より引用)

 振り返ったときには、男はすでに距離をとっており、こちらを見ることもなく足早に立ち去っていった。

 私はダニエルにここまでの出来事を伝えることにした。

 彼の顔がこわばったのがわかった。

「もう、この街にはいられない」

 その判断が賢明なのかは、よくわからなかった。だが、ダニエルの顔は本気だった。

 カルテルの警告というのは、このように直接、間接問わず「見ているぞ」というメッセージを重ねてくるものらしい。奴らからの警告を受けて、我々に残された選択肢は「逃げる」しかなかった。