「まったく問題ない」「精神病院に入院すると心の傷になるから」翌日、父と姉が一緒に帰宅
――お姉さんの状況を目の当たりにして、当時はどんな心境だったのですか。
藤野 正直「驚いた」というのが最初だったかもしれないですね。叫び声を聞くだけでもすごく怖かったですし……。でも姉が苦しんでいる感じがあったので、なんとかしなきゃと思っていました。
次の日、父が単身赴任先の関東から家に帰ってきたんですけど、驚いたことに姉も一緒に帰ってきてたんですね。
――お父さんがお姉さんを病院から連れて帰ってきたのですか。
藤野 父の説明としては、主治医から「まったく問題ない」「精神病院に入院すると心の傷になるから」と言われて連れ帰ってきた、というものだったんですね。
――それを聞いて、藤野さんは率直にどう思ったのですか。
藤野 当時は僕も高校2年生でしたし、両親も医師だったので「そうなのかな、どうなんだろう」くらいだったんですよ。父が判断したのではなく、精神科医が判断してそう言ったという説明だったので、知識がない僕にとっては疑う余地がなかったというか。
当時は統合失調症についてほとんど知りませんでしたし、姉の身に何かが起こっているのは分かっても、それが統合失調症かどうかまでは分からないわけです。
なぜ両親は姉を精神医療に繋げなかったのか
――お姉さんが突然叫び出したのは、統合失調症の急性期症状だったのでしょうか。
藤野 医師の診断が無いので根拠は無いですが、あの時から始まったと考えています。父からは姉が問題ないという説明を受けましたが、その後も姉が突然叫び出したりすることが続いていたんです。
それでも両親は姉を病院に連れていかなかったので、だんだん腑に落ちないような気持ちになっていきました。
――両親は、どうしてお姉さんを精神医療に繋げなかったのだと思いますか。
藤野 色々と理由はあると思いますけど、1983年当時は精神疾患に対する偏見が今よりも強かったんですね。治療するというよりは「精神科に通うような人は社会から排除する」みたいな方向で、収容主義だったんですよ。
日本では1996年まで「優生保護法」があって、断種手術も合法に行われる状態ではありましたから、おそらくそういう社会的背景はひとつあったんだと思いますね。
――お姉さんはそれから、どういう状態になっていったのでしょうか。
藤野 コミュニケーションがその日からまったく取れなくなったわけではなく、普通に話ができる日もあるし、そうじゃない日もあるというふうに波があるんですよね。大学にも行っていたようなんですけど、だんだん、日常会話がすんなりはいかなくなってきた感じはあって。
ごはんを食べている時に姉がだんだん激昂してきて、食卓に飛び乗って食器が飛んでいっちゃうみたいなこともありました。あとは夜中に、寝ている家族を1人1人起こして「お前たち全員、静かにしろ」と言われたり。

