1983年、医学部に通う優秀な姉が、突然、統合失調症を発症。現実とは思えない言葉を叫び始めた。研究者で医師でもある両親は「問題ない」として医療から遠ざけ、南京錠をかけて家に閉じ込めた――。
弟の藤野知明監督は、20年にわたって家族を記録し、ドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』として公開。今年1月には同名の書籍『どうすればよかったか?』(文藝春秋)も刊行された。
エリート一家に生まれ、父を強く尊敬して医学部に進んだ姉の身に、何が起きていたのか。藤野監督に話を聞いた。(全4回の1回目/2回目に続く)
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両親ともに医師免許を持つエリート一家
――藤野さんが生まれた家庭について教えてください。
藤野知明さん(以下、藤野) 1966年に札幌市の真駒内というところで生まれ育ちました。昔、札幌オリンピックの選手村があった近くですね。そこで父、母、8歳上の姉、僕の4人で暮らしていました。
――ご両親はどんな人だったのでしょうか。
藤野 両親が2人とも研究者で、医師免許を持っているんです。父は生理学を、母は薬理学を研究していたようです。元々は大学の研究室が一緒で、母が父の研究していた分野について尋ねに行ったことが最初の出会いだと聞いています。要するに、職場結婚ですよね。
父は定年退職した後に叙勲されています。おそらく勤続年数とか、退職する時の役職に応じたものだと思います。母は薬理学の教授をやっていて、教科書を書いていたりもしました。
しっかり者で何でもできるタイプだった姉
――ご両親は、家庭でも教育熱心だったのでしょうか。
藤野 日本で「教育熱心」というと、いい大学に入って、いい会社に入って、高い給料をもらって、みたいなイメージがあると思うんですけど。父はそういう目標ではなく、何か1つの目標に到達するための方法を探して、それをルール化したり、理論を作ることに重きを置いていたように思います。
――ご両親と藤野さんはどのような関係性だったのですか。
藤野 姉がしっかり者で何でもできるタイプだった一方で、僕はあんまり出来が良くなかったんですね。だから両親からは「何であなたはできないのか」みたいな感じではありました。

