1983年、医学部に通う姉が統合失調症を発症。その後、突然激昂して食卓に飛び乗るなど、姉の言動は次第に変調していった。しかし研究者で医師でもある両親は、姉を精神医療につなげることはなかった。
弟の藤野知明監督は、20年にわたって家族を記録し、ドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』として公開。今年1月には同名の書籍『どうすればよかったか?』(文藝春秋)も刊行された。
なぜ両親は、姉を医療につなげなかったのか。精神的に追いつめられていく藤野監督と両親の関係は、どのように変わっていったのか。(全4回の2回目/3回目に続く)
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隣室の姉が布団の中で急に唸ったり叫んだりしはじめ…
――お姉さんが突然叫びはじめた日、何かいつもと違う様子はあったのでしょうか。
藤野知明さん(以下、藤野) 僕は気付かなかったんですが、夜6時頃、僕と姉がご飯を食べているときに帰ってきた母が、姉の瞳孔が開いていることに気が付いたんですね。僕はそのまま寝てしまったんですけど、心配した母が姉の状態を確認するために散歩に連れ出したそうなんです。
それから姉も床についたようですが、夜7時か8時くらいに、隣室の姉が布団の中で急に唸ったり叫んだりしはじめました。内容は現実とは思えない話で、1つだけ覚えているのは「パパがテレビの歌番組に出て歌っていた時に応援しなくてごめんね」という言葉です。
――お姉さんが叫び声をあげたりするのは、初めてのことだったのですか。
藤野 姉がヒステリックになる時はたまにあったんですけど、今までとは全然レベルが違っていて、声をかけてなだめようとしても言葉が届かない感じですね。
僕と母が驚いて姉の部屋に入って行こうとすると、さらに声が大きくなって、姉に近付くことすらできない。ドアも開けられないような状態が30分くらい続いて、母が救急車を呼んだんです。
救急隊の人から「どこの病院に行きますか」と聞かれたので、母が父に電話で確認して、父の知人が開業している病院の精神科に行くことになったんですね。
――藤野さんも一緒に病院にいったのでしょうか。
藤野 僕は叔父の車に乗せられて後から追いかけていったんですけど、途中で叔父が母に連絡を取ったところ、今日は遅くなるから僕を家に送り返してくれと言われたそうで。それで僕は一足先に家に帰ったんですけど、母はかなり夜遅くに帰ってきたと思います。

