「地下鉄の駅に裸の女がいるから、逮捕してくれ」と泣き叫んで…
――明らかに、これまでと様子が違っていたのですね。
藤野 そうですね。僕が大学生の時だったか、自室にいたら姉が絶叫している声が聞こえてきたんですね。そういうことはよくあったので「また何か1人で言っているのかな」と様子を見に行ったら、110番通報をして「地下鉄の駅に裸の女がいるから、逮捕してくれ」と泣き叫んでいたんですよ。
それで姉はガチャンと電話を切るんですけど、警察から折り返しで電話がかかってくるので、僕が出て「姉は興奮していますが、危害を及ぼす状態ではないので大丈夫です」と説明するんです。その後、警察官が見回りに来ることが何度かありました。
――当時、家庭はどんな雰囲気だったのでしょうか。
藤野 姉のことをめぐって、両親と僕が年がら年中、口論しているような感じでしたね。そして両親は姉に対して「あれをしなさい、これをしなさい」と命令するようになってきて、だんだん普通の会話がなくなってきちゃったんですよね。
あとは、家に60代くらいの住み込みの女性のお手伝いさんがいて、最初はお手伝いさんと姉は仲良かったんですけど、姉がイライラしていることが多くなって、いろいろと要求をするようになってきちゃったんです。
――どういったことを要求していたのですか。
藤野 姉には「人間は常に向上しなきゃいけない」みたいなルールというか、縛りがあって。そのお手伝いの女性にも「日々同じことをしていてはいけない」と押し付けるようなことを言うようになったんですよ。そうしたら、その女性が「じゃあ自転車に乗ったことがないから、乗れるようになりたい」と返したそうで。
姉が付いて自転車の特訓を始めたりして、日々の買い物に自転車で行けるようになったんですけど、あるとき自転車で転んでしまって。
――どうなったのですか。
藤野 体を痛めてしまったんですね。そうすると姉は「自分のやったことが良くない結果を生んでしまった」ということで、ちょっと受け入れられない様子ではありました。
「姉が精神(障がい)ならお前もか?」と言われたことも
――藤野さんは、お家の状況を誰かに相談することがありましたか。
藤野 初めて急性期症状が出て、姉が救急車で運ばれた時はやっぱり誰かに相談したくなったんですね。だからその数日後に、中学の時に仲が良かった友達に電話をして、彼が乗る通学バスに僕がわざわざ乗りに行ってそこで話をした記憶があります。
