――お相手はどんな反応だったのでしょうか。

藤野 覚えていません。まあ、「受け止めきれない」というような様子でしたね。

 その友達に相談した後、高校の担任の先生にも話したと思うんですけど、あまり反応が返ってこなかったと記憶しています。

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 それから大学に進学して、一般教養の英語の先生に相談をしたんですね。そうしたら「姉が精神(障がい)ならお前もか?」と言われてしまって。そのとき以降、家のことを誰かに相談することをためらうようになりましたね。

――当時、藤野さんの心の支えはありましたか。

藤野 ちょうどその頃、映画を観始めたんですよ。それまで『ブレードランナー』を観たりはしていたんですけど、高校2年生から3年生にかけて、よく学校をエスケープしながら映画を観るようになって。今はもうなくなりましたけど「ジャブ70ホール」というミニシアターが当時はあったんですね。

 そこで観た、タルコフスキーの『ノスタルジア』と、ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』という映画はすごく覚えています。

 

「姉に黙って向精神薬を与えているのではないか」両親に対する不信感と怒りの感情

――お姉さんに変調が起きてから、ご両親に対する気持ちに変化がありましたか。

藤野 やっぱり、姉の状態について「なぜちゃんと説明をしてくれないのだろう」とは思っていました。自分だけ家族じゃないような扱いをされている気がして。

 でも結局、両親は姉の状況をわかっていて、自分たちで姉を治そうとしていたんですね。食事の時に、キッチンにいた父が胸ポケットからこっそり透明の容器を取り出して、姉のお茶に液体を入れたのを目にしたことが何度かありました。

 その後、姉の様子をしばらく注意して見ていたんですが、声をかけても反応が弱く、ボーッとしていることが増えたように思えたんですね。

――それは何かの薬だったのですか。

藤野 10年ほどあとになってわかったことですが、向精神薬だったようです。もちろん法律に違反する行為ですから、両親に「姉に黙って向精神薬を与えているのではないか」と聞いたんですね。

 でも、否定されてしまって。証拠もなかったので、その時は引き下がるしかありませんでした。

 そういうことがあったので、だんだん両親に対して不信感や怒りの感情が募っていったんですよね。

――藤野さんとご両親の関係性が変わっていったのでしょうか。

藤野 大学時代になると、両親が何も対応しないことに納得が行かなくて、よく口論になっていたんですよ。僕自身も解決を急いでいたし、日々思いがけないことが起きるし、はずみで両親を「殺すかもしれない」と思い詰めたこともありました。

撮影=佐藤亘/文藝春秋

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