大阪・関西万博で『キリスト埋葬』が展示され、日本でも注目度が急上昇中の画家、カラヴァッジョ。斬新な明暗法を用いた写実的な作品で一世を風靡し、ルーベンス、レンブラント、フェルメールら後の巨匠たちにも多大な影響を与えた天才画家は、血の気の多さから殺人に手を染め「呪われた画家」とも呼ばれていた――
中野京子さんの「名画×西洋史」大人気シリーズ第3弾『中野京子と読み解く カラヴァッジョと惨劇のローマ』から、イタリアを代表する画家・カラヴァッジョの波乱万丈の物語を抜粋してお届けします。(全2回の2回目/1回目から読む)
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暴力と芸術と巡礼と同性愛者と娼婦の町・ローマ
カラヴァッジョのローマは建築ブーム中の聖職者の町であると同時に、暴力と芸術と巡礼と同性愛者と娼婦の町でもあった。
とりわけ娼婦の数は人口の一割に当たると言われたほどで、貧富の差がそれだけ大きく、女性にとって厳しい状況だったことがわかる。12歳前後から身体を売る少女もざらにいた。生きてゆかねばならない。
カラヴァッジョは、そうした女性たちをよく知っていた。画業が認められ、収入が増大しても、下層社会に留まり続けていたからだ。そこが彼の世界であり、居心地もよかった。上昇志向などさらさらない。仮にあったとしても、誰にも彼を躾けることなどできなかったろう。
とうぜんながら、カラヴァッジョが宗教画のモデルに使ったのは自分の周りにいる貧しい男女だった。汚い通りを走り回っている少年、喧嘩や悪事にあけくれる若者、貧窮生活に押しつぶされそうな老人、そして娼婦。彼らの顔と身体をそのまま使い、映画監督が俳優に役を振り当てるように、表情やポーズを指示して聖人や聖女の役を演じさせた。
カラヴァッジョの宗教画がどこか生々しいのは、そこから来るのだろうか?
いや、必ずしもそうではない。ルーベンスなど他の画家が使っていたモデルも似たりよったりだった。
絵画のモデルという仕事は部外者が想像するよりはるかに過酷で、19世紀になっても女性モデルが娼婦と同一視されていたのは、実際に娼婦がほとんどだったからだ。『図説「最悪」の仕事の歴史』(T・ロビンソン)の中で著者は、モデル業を「寒気と痙攣に悩まされる仕事」「よほど金に困っていなければ無理」と書いている。「痙攣」というのは、同じポーズを長く取り続けねばならないことを指す。
とはいえカラヴァッジョの女性モデルは、オールヌードを要求するルーベンスよりずっと気楽だったはずだ。彼女たちの報酬がどれほどだったかは知られていないが、合理優先のルーベンスより、適当なカラヴァッジョのほうが多く払ってくれることもあったかもしれない。

