三作品に登場する、三人のローマの娼婦を見てゆこう。
まず『ホロフェルネスの首を斬るユーディト』。
『ホロフェルネスの首を斬るユーディト』
これは旧約聖書外典に出てくる、古代ユダヤの有名な女傑ユーディトの物語だ。アッシリアの将軍ホロフェルネスの軍に包囲された町を救うため、富裕な未亡人ユーディトが侍女一人を伴い、着飾って敵陣へ乗り込む。その美貌に魅入られたホロフェルネスは彼女を自分のテントに招き入れ、勧められるまま酒を飲んで寝入る。ユーディトは彼の首を斬り落とし、夜陰にまぎれて町へもどった。翌朝、将軍が殺されたと知ったアッシリア軍は逃げ帰る――
ボッティチェリをはじめとした多くの画家が取り上げてきた主題だ。カラヴァッジョは高級娼婦フィリデ・メランドローニにモデルを依頼する。
フィリデはシエナの中産階級出身だったらしいが、父親が亡くなると母は十二歳のフィリデを連れてローマへ引っ越した。景気が良いと聞いていたが仕事は見つからず、まもなく娘に売春を強要した。決められた売春許可街以外の場所にいたとしてフィリデが逮捕されたのは、13歳の時だ。
だがその後フィリデは頭角をあらわし、富裕な有力者をおおぜい顧客にもち、19世紀の「椿姫」ことマリー・デュプレシのような贅沢な暮らしを実現した。その一方で気性の激しさでも知られ、恋人の浮気相手をナイフで脅して警察沙汰になったこともある。
そんなフィリデが演じるユーディトだが、カラヴァッジョ監督は現実の彼女の荒々しい一面を封印してしまった。いかにも嫌そうに剣をノコギリのように動かしているが、これでは殺されるホロフェルネスがとんだ間抜けに見える。また首を入れる袋を持って待ち受ける老いた侍女も、フィリデの美貌を引き立たせるというよりは、数十年後のフィリデの姿を想像させはしないだろうか。
幸いにして、と言ってよいのかどうかはわからないが、フィリデはまだこれほど老いる前の37歳で病死した。
『ロレートの聖母』のモデルは、「レーナ」の源氏名で知られる高級娼婦マッダレーナ・アントニエッティ。
『ロレートの聖母』
まず地名のロレートだが、これは足の形をしたイタリア半島のちょうどふくらはぎあたりに位置する町だ。ここはフランスのルルドと同じで、国中から人々が集まる聖地として知られた。十三世紀にキリストの生家がイスラエルのナザレから天使に運ばれて飛んできた場所だというのだ(日本には、平将門の首が飛来して「首塚」となった例あり)。
カラヴァッジョが描いたのは、その西洋で最初のマリアの神殿の前にひざまずき、純朴な祈りを捧げる巡礼の母子、そして彼らの祈りにこたえるかのように、突如出現した聖母子の姿だ。聖母子はまばゆい光に包まれているわけでもなく、人間と同じように壁に影を作っている。
聖母子の頭上の細い光輪、幼子が巡礼の母子に祝福を与える指。その母子が持つ長い太い巡礼杖、老女の顔や首の深い皺、中年の息子の汚れた足裏と巡礼者用の黒いケープ(ロココ時代のヴァトー作『シテール島の巡礼』でも、アモルたちがこの黒いケープをまとっている)。
徹底したリアリズム手法で描かれた幻視は、それにもかかわらず、いや、それだからこそなのか、奇蹟に説得性をあたえている。
長い旅路を歩き通して、やっと巡礼地に辿り着いた極貧者の姿は、先述したように、1600年のローマ聖年に集う巡礼者の群れの中にいくらでも見られた。カラヴァッジョはそれを目に焼き付けていたに違いない。
さて、聖母として描かれたレーナだが、彼女の母も姉も娼婦だった。本人は「麗しのレーナ」と呼ばれたほど美貌の高級娼婦で、枢機卿の子を産んだと噂された。それが本作の幼子らしいが、真相は不明だ。カラヴァッジョとは親しく、『蛇の聖母』など他作品でもモデルをしている。
またカラヴァッジョが公証人を襲って殴りつけた原因は、相手がレーナの悪口を言ったからというのは本当だ。その際、公証人はレーナをカラヴァッジョの「女」と呼んだことで、二人は愛人関係にあったと言われたが、カラヴァッジョの性的嗜好は女性に向いていたようには思えないので、これは疑わしい。
レーナは美人薄命で28歳で死んだ。


