ただ、他方で、作品のなかで素の自分をさらけ出すことには抵抗があったという。そのため感情にふたをして、自分自身を役で覆い隠して演技するうち、だんだん平均点の芝居しかしなくなっていた。ディレクターから「うわべだけのセリフじゃダメだよ」と図星を突かれたこともあったらしい。彼女はそんな保守的になった自分が許せず、ここから抜け出さねば役者としてしぼんでしまうと焦りを感じ始める。

「震えがとまらない」「あれはお芝居じゃなかった」

 そんな時期に映画『ぐるりのこと。』(2008年)で、子供を失った悲しみからうつ病を患っていく妻の役をオファーされる。監督の橋口亮輔から「木村多江のドキュメンタリーを撮りたい」と最初に言われたとおり、撮影に入る前のリハーサルから自分の内側にあるリアルな感情を呼び起こすため、夫役のリリー・フランキーと設定だけを与えられて自由に演技するエチュードを何日もかけて行った。エチュードでは、ネガティブな激しい言葉責めでパニックになったりと、この時点ですでに過酷だった。

映画『ぐるりのこと。』(2008年)

 撮影に入ってからは、どう演じても、どう工夫しても監督からOKが出ず、すっかり自己嫌悪に陥り、現場で誰とも口を利けなくなるほど追い詰められた。それはあとから思えば、精神のバランスを崩してうつ状態になっていく妻の姿そのものであった。

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 撮影は台本に書かれた順番どおりに進められ、クライマックスとなる台風の夜のシーンを撮るときには木村の状態もピークに達しており、《息もうまく吸えず、震えがとまらない。もう、あれはお芝居じゃなかったですね》と振り返っているほどだ(『婦人公論』2008年7月7日号)。そのかいあってこのシーンは一発でOKが出たが、カメラが止まっても呆然としたままの彼女を、監督は「多江ちゃん、よくやった。僕も泣いちゃったよ」と抱きしめてくれたという(木村多江『かかと』講談社、2010年)。

『ぐるりのこと。』橋口亮輔監督、共演のリリー・フランキーと(木村多江のインスタグラムより)

 同作での木村の演技は高く評価され、日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞やブルーリボン主演女優賞も受賞した。観客からも予想外の反響があり、《うつに苦しんでる方が作品をご覧になって、「明日の自分を見てみたいと思いました」って言ってくださったんですよ。私の芝居でそう思ってもらえることが嬉しかったし、少しでも人の役に立てることがあるのなら、これからもやっていきたいなと》思えたという(『週刊文春』2012年5月31日号)。(つづく)

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