最初の仕事で「関係者がお金を持ってどこかへ逃げてしまって…」
――芸能デビューして最初の仕事はなんだったんでしょうか。
谷 2006年にサイパンイメージガールになりました。それが芸能界での最初の仕事だったんですが、実は関係者がお金を持ってどこかへ逃げてしまって。それでサイパンイメージガール自体がなくなってしまったんです。いきなり芸能界って怖いところだと思わされました。
――えっ、そうなんですか。メディアが谷さんを紹介する際のプロフィールやウィキペディアには「サイパンイメージガールに就任」と書かれています。
谷 うそ! 誰がそんなこと書いたんですか。サイパンに行っていないし、イベントも何もやってないんですよ(苦笑)。ウィキペディアって誰でも書けるんですか?
――誰でも追記自体は可能です。
谷 びっくりしますよね。川崎競馬のイメージキャラクターやっている時に、すっごい半目の写真を貼り付けられてたことがあって。その頃はバラエティー番組に出ていたから、谷桃子ならなんでもやっていいと思われていたんでしょうね(笑)。
「水着の面積はどんどん小さくなって…」最初はしんどかったグラビア
――谷さんといえば人気グラビアアイドルとして活躍されました。デビュー時は藤田咲という芸名でした。
谷 懐かしい。そうですね。ただ本名の方がいいと言われて、数か月で改名しちゃいました。
――グラビアの仕事へは抵抗はありませんでしたか。
谷 ありましたよ、それは。そもそも現場につくまで水着の仕事だとは聞いていなかったんです。それまで競泳水着くらいしか着たことなかったのに、ビキニですし、しかもグラビアの水着って小さいじゃないですか? もともとお尻が大きいのがコンプレックスだったんですが、そのお尻もすごく見えてしまうので恥ずかしくって。水着は着たものの楽屋から20分くらい出られなかったんです。結局スタイリストさんにお尻を叩かれて、撮影しました。
――グラビアの仕事は楽しかったですか?
谷 最初の頃はしんどかったです。グラビアの仕事が入った時は「また水着かーい」みたいな(笑)。しかも水着の面積はどんどん小さくなっているし。でもだんだん撮影にも慣れてきて楽しくなりました。綺麗に撮影してもらえますし、ロケでいろんな場所に行けるのも楽しくて。当時はグラビアもお金があったのでよく海外にも連れて行ってもらいました。
グラビアには感謝しているんです。もともと私は引っ込み思案で、赤面症だったのであんまり目立つことしたくなかったんです。そんな私がグラビアをやることでだんだん変わっていきました。私にとっては世界観を変えてくれたグラビアなんです。だから、ずっとやっていたくて、結局引退するまでやりました。

