2025年12月号で完結した保阪正康氏の人気連載「日本の地下水脈」。2020年8月号に掲載された第1回では、明治以降に猛威をふるったコレラやスペイン風邪といった“疫病”を通して、日本のファシズムが考察された。その冒頭を紹介します。

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疫病の歴史的教訓を振り返る

 明治以降の近現代史を振り返ると、日本という国家が形成される過程において、疫病との戦いがきわめて重要な意味を持っていたことがわかります。

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 ひとつ注目すべきは、疫病に対して人類が取りうる最強の対抗策はファシズム的な制度である点です。自由な移動や集会を禁止し、経済活動も規制して、私権を大幅に制限する――今回の新型コロナウイルスの封じ込めにおいても、より強い制限を国民に課した国家が大きな成果を上げています。日本で行われた緊急事態宣言とそれに伴う各種の「自粛要請」は罰則規定がなく、中国や韓国のそれに比べて強制力も弱いものでしたが、それでもファシズム的な側面を持つことは否定できません。

 もちろん、私は今回日本政府がこれらの措置をとったのは、現状ではやむをえないと考えます。しかし問題は、こうした措置がファシズム的な素地を内包していることに、指導者や国民がどこまで自覚的であるかです。いつかコロナが終息した時に、ファシズム的な社会システムだけが温存されていたというのでは、私たちは歴史に何も学んでいないということになってしまいます。

保阪正康氏 Ⓒ文藝春秋

 そうならないためにも、政治指導者は「一時的に我慢してもらう代わりにウイルスとはこう戦うのだ」という明確な意思と目標を国民に示さなくてはなりません。また、われわれ国民の側は、シビリアンとしてその統治の在り方に自覚的でなくてはならない。緊急事態宣言がもつ「窮屈さ」と、それによって「人間性の喪失」が社会のそこかしこに現れるということを、解除後もしっかり記憶しておかなければなりません。

 明治以降、日本の国家体制の構築は、すべてが「軍事」に収斂するプロセスの中で行われました。たとえば経済、産業の発展は軍と密接に結びついた政商によって主導され、日清戦争以降は戦争そのものが国家的ビジネスとしての性質を色濃く持つようになります。戦争で得た賠償金は、さらに軍を強化するために投じられました。欧米列強に少しでも早く追いつくために、そのような道を選択せざるをえなかったという事情もあります。

 しかし、すべてが軍事に収斂する国家体制において、政治と軍事の関係性には矛盾が内包されていました。欧米列強のような文民統制の歴史をもたなかった日本は、軍事の下に政治が隷属するという、いびつな状況が進みます。すると必然的に個人の自由が制限された窮屈な、市民意識の希薄な社会となりました。その行きついた先は、まさに「人間性喪失」の世界そのものでした。

 本稿では「明治10年のコレラの流行と大久保利通」「大正7年のスペイン風邪流行と原敬」「太平洋戦争下での疾病対策」という3つの時代において、日本の国家指導者たちがどう疫病と戦い、国民生活がどう変わったかを具体的に見ていきます。日本において近代国家はどのように成立したのか、そして疫病に対してどう対処したのかを振り返ることで、このコロナ禍において私たちが見失ってはいけない歴史的教訓が浮かび上がってくるように思います。