出会ってわずか10日でのスピード婚
レミさんが和田さんと結婚したのは1972年。出会ってわずか10日でのスピード婚だった。当時レミさんはシャンソン歌手としてテレビやラジオで活動中。和田さんは広告会社から独立してフリーランスとなり、「週刊サンケイ」の表紙を手掛けるなど(その後「週刊文春」の表紙を48年間担当)、イラストレーターとして注目を集めていた。
和田さんが初めて私を見たのは生放送の歌番組。そこで声が出なくなった私は、バンドを途中で止めてやり直させたみたい。「自由な面白い歌手がいるもんだな~」と興味を持ったそうです。
その後、麻雀仲間だった久米宏さんのラジオ番組を聞いて、嫁にするならこの人しかいないと思ったらしく、私の共演者だった久米さんに紹介を頼んだんだそう。当時、まだド素人だった私は、放送禁止用語連発で好きな事を自由にしゃべっていたから、久米さんに毎日蹴飛ばされたりしてた。
和田さんは久米さんから、「あの人だけはやめたほうがいい。人生を棒に振りますよ」と断られたけど、諦めきれずに今度はラジオのディレクターに頼んだみたい。それで、TBSのビルに入っている日本料理店で、初めて会うことになりました。私はイラストレーターっていう職業も知らなかったけど(イラストレーターという言葉を最初に使い出したのは和田さんだよと、南伸坊さんがその後教えてくれた)、初対面の和田さんは落ち着いて物知りで話が面白い人だなと思いました。
出会ったその日、すぐに和田さんの家に行ったら、血みどろの幽霊みたいな浮世絵が載ってる本を見せてくれたり、怖い話をたくさん話してくれたりして盛り上がったの。帰る時に、「明日も怖い話をしてあげようか?」って言うから「して、して!」と言って、そこから4日くらい和田さんの家に通いました。もちろんまだ手も握らないわよ(笑)。
「和田さんは素晴らしい人だから、お嫁に行っちゃいなさい。」
その後、和田さんは前から予定していたフランク・シナトラのコンサートを見にアメリカに行っちゃって。その間、すごく寂しかったの。数日後に帰国した和田さんから「結婚しようか」と言われて、「しましょう、しましょう!」と思わず立ち上がって返事しちゃいました。その瞬間から、私の呼び方が「レミちゃん」から「レミ」に変わって、ずいぶん図々しい人だなと思ったけど(笑)。
すぐ私の実家にも挨拶に来てくれて、父はいい顔をしなかったけど、母は「和田さんは素晴らしい人だから、お嫁に行っちゃいなさい。お父さんには私がうまく言っておくから」と背中を押してくれた。「もしダメなら帰ってらっしゃい」と言ってくれたから、とりあえずパンツ3枚だけバッグに入れて家を出たの。3日で嫌になるかもと思ったけど、そのまま47年も続くことに。(※後編に続く)
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自分の料理を「シェフ料理」ならぬ「シュフ料理」と位置づけ、時間や手間を省いた美味しいレシピを発信してきた平野レミさん。"料理愛好家"としてのキャリア、家族をつなぐ味への想いについても語ってもらった記事全文は『週刊文春WOMAN 2026春号』で読むことができます。
写真:志水隆
和田誠アーカイヴ「和田誠の世界Ⅱ」を開催
主催:多摩美術⼤学アートアーカイヴセンター
監修:高橋庸平(AAC所員・グラフィックデザイン学科准教授)
会期:2026年4⽉1⽇(⽔)~5⽉16⽇(⼟)
※⽇曜⽇、5⽉1⽇(⾦)~3⽇(⽇)、5⽇(⽕)、6⽇(⽔)は休館
会場:アートアーカイヴセンターギャラリー(多摩美術⼤学⼋王⼦キャンパス アートテーク2F)


