「ルックスがよくない」「ヒットの可能性を感じない」
しかし、デビュー前の無名時代にあっては、いくらネットで人気が出ようが売り込み先の大手レーベルには関係なく、「ルックスがよくない」「曲にもヒットの可能性を感じない」として契約を断られた。2006年中にはアイランド・デフ・ジャムというレーベルのオーディションを受け、ようやく契約を結ぶ。だが、デビュー曲の準備に取りかかった矢先、解雇されてしまう。レーベル側は、ガガをどういうふうに売り出せばいいのか判断しかねたらしい。
このあと2007年にようやく、インタースコープ・レコード傘下のストリームラインをはじめとする3つのレーベルと契約を結んだ。ちなみにこのときのオーディションで彼女が用意した楽曲は、その後、デビューアルバムの表題曲「ザ・フェイム」となった。ストリームラインでは、デスティニーズ・チャイルドやビヨンセを手がけた有名プロデューサーのヴィンセント・ハーバートがガガを担当することになる。
レコード会社から整形を勧められても「私の誇りある遺伝なのだから」
ただ、ここでも彼女のルックスが問題となり、解決策が見つかるまではデビューは保留し、ソングライターとして裏方に回すという判断が下された。本人によれば当時《レコード会社の人たちから、その鼻を小さくする手術を受けた方がいい。大きすぎると警告されたけれど、私は自分のイタリア型の鼻は私の誇りある遺伝なのだからいじるなどとんでもない、と拒否した》という(『キネマ旬報』2019年1月上旬号)。整形手術は拒否したが、ほかのアーティストのためのソングライター役にはしばらく甘んじ、ブリトニー・スピアーズなどに曲を書いている。
それでもCDデビューする1年前、2007年8月に野外フェスに出演すると、ガガは圧倒的な存在感で観客を惹きつけた。これも、それまでライブを重ねてきたからこそだろう。翌2008年、彼女がデビューするに際しては、レコード会社もほかの新人アーティストよりあきらかに多くの資金を注ぎ込んで売り込みを図った。同年5月のテレビ初出演に際しても、彼女の望みどおり大勢のダンサーを用意している。このとき、ガガはすっかりキャラクターになりきって、ミステリアスな雰囲気を漂わせていたという。何よりパフォーマンスへの専心ぶりは番組制作担当者に感銘を与えた。
こうして2008年8月、レディー・ガガは満を持してデビューアルバムをリリースするにいたった。そのタイトルどおり、デビューした彼女はフェイム(名声)を手にすることになるのだが、それもけっして易々と得たわけではなかった。(つづく)

