母が死に「憎むことも憎まれることもなくなった」とホッとした

 あかりが提出した陳述書には、犯行に至った動機が切々とつづられている。

〈浪人生活を送っていたころの私は20代。心に回復力、柔軟性、図太さ、諦観が備わっていた。一晩寝れば大抵は忘れ、柳に風でいられた。夢も希望もなく、自分の人生なんてどうでも良かった。

 勿論、長年の憤まんは積もっていたので、母の隙を突いて平成26年に逃げたのだが。しかし、大学生活を経ての地獄の再来は流せなかった。暴言による傷が治らない。言動の意図をあれこれ考えてしまう。狂った母に負い目はある。でも、だからといって助産師になりたいとは思えない。手術室看護師になるという現実的な希望があり、いずれは大学院に入りたいという夢も抱いていた。自分の人生に執着していた。(中略)

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 母は私を心底憎んでいた。私も母をずっと憎んでいた。「お前みたいな奴、死ねば良いのに」と罵倒されては、「私はお前が死んだ後の人生を生きる」と心の中で呻いていた。ところが、母を寝かしつけて一息ついた静かな夜、虚しくなる。哀しくなる。終わらせたくなる。母が死んで、「もう、憎むことも憎まれることもなくなった」とホッとし、身体の力が抜けた。

「娘が看護師として就職することを断固反対し、内定を蹴って助産学校に入るよう母親が強制してくる」という、私ですら理解しきれない苦悩を、父に、祖母に、大学の級友や教職員に、病院関係者に、誰に何を切り出して相談すれば良いのか、まったく思い付かなかった。

 母とすら信頼関係を築けなかった私は、自分以外誰も信頼出来なかった。浪人時代からそうであった。高校時代の「ドン引きされているのにウケていると思っていた失敗」を大学では、就職に際しては繰り返したくなかった。何より、誰も狂った母をどうもできなかった。いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している〉