日本最大の操車場だった
操車場は、いまのコンテナ輸送のための貨物駅とは少し違う。ざっくりした説明をすれば、全国各地からやってきた貨物列車をいったん一か所に集め、行き先別に貨車を組み替えて再出発。その拠点となるのが、操車場だ。
武蔵野操車場は、1974年に開設された。敷地面積は100万平方メートルを上回り、貨車の組み替えをコンピューター制御で自動化した、日本最大にして最新鋭の操車場だったという。
すでにトラック輸送に押されていた貨物輸送にあって、当時の国鉄が巻き返しを狙った乾坤一擲の大勝負。それが、武蔵野操車場だったのである。
そもそもの話をすれば、武蔵野線自体が貨物輸送のために建設された新線だった。輸送量の逼迫していた都心部を経由せずに貨物列車を走らせることがその目的だ。
沿線には武蔵野操車場以外にも新座や越谷に貨物駅が設けられている。
開業当時の武蔵野線の旅客列車は日中に40分に1本。それ以上に貨物列車が行き交っていた。その中にあって、武蔵野操車場は要石のような存在として期待されたのだ。
ところが、武蔵野操車場がその本領を発揮することはほとんどなかった。操車場で貨車を入れ替える、いわゆる“ヤード集結型”と呼ばれる輸送スタイルはすでに時代遅れになっており、1984年までに事実上廃止されてしまったのだ。
わずか10年で潰えた夢
結果、武蔵野操車場は開設からわずか10年で休止、1986年に正式に廃止となった。そして、この跡地に建設されたのが、吉川美南~新三郷間の商業施設全部入り、というわけだ。
ほんの10年ばかりで幕を引いた武蔵野操車場。その短い現役時代には、吉川美南駅はもちろん新三郷駅も存在しなかった。駅があったところでそこにあるのは一般の人には関わりのない巨大な操車場なのだから、ムリもない。
それに、吉川美南の吉川市には吉川駅、新三郷の三郷市には三郷駅が置かれていた。だからそれで充分という判断もあったに違いない。
ところが、である。吉川はともかく、三郷はちょっと複雑な事情を抱えていた。


