ぶつ切りになった跨線橋

 1980年代後半にはみさと団地の南側に高層マンションを含めた大型住宅地「パークフィールドみさと」が現れている。バブル期のマンションだけに、億の値を付けた物件もあったという。

 そうなってくると、いよいよ300m離れたホームは不便の極み。さらに、広大な操車場跡地の再開発も進んでいなかった。

 新三郷駅のホーム問題が解決したのは1999年になってから。さらに2000年代には操車場跡地の再開発も動き出す。跡地が売却されて、ららぽーとをはじめとする商業施設、そして住宅地へと変わっていったのだ。

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 新三郷駅前のららぽーとがオープンしたのは2009年。この年から、それまで三郷駅の方が多かったお客の数が逆転している。そしていま、新三郷駅前には操車場の現役時代をしのばせるものはまったくといっていいほど存在しない。

 かつて300mも離れていたホームを結んでいた跨線橋がぶつ切りになって残されているほかは、吉川美南駅近くの公園のオブジェ、そして駅前広場の小さな説明板くらいだ。

 

 ららぽーとやイオンを行き交う人も、ここに日本一の操車場があったことなど知らないだろう。いや、そもそも「操車場」という言葉だって聞いたことがないに違いない。

 国鉄が、その最末期にしかけた大勝負。その象徴だった武蔵野操車場は、まるで歴史から存在を消されたかのように、商業施設全部入りに生まれ変わっている。

 

撮影=鼠入昌史

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