再婚相手が次々に死亡、4人を毒殺した罪に問われ死刑判決が下りた筧千佐子(2024年に死亡)。被害者は10人超とも報じられ、「後妻業の女」とも呼ばれた筧は殺人の理由について「差別」と答えたという。一体どんな差別が、彼女を大量殺人に駆り立てたのか。

 多くの死刑囚を取材してきたノンフィクションライター・片岡健さんの新著『実録 死刑囚26人の素顔』(宝島社)から、一部抜粋してお届けする。

筧と著者が面会した京都拘置所 ©片岡健

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バブル崩壊がまわりまわって「リアル後妻業の女」を生んだ

 千佐子はどんな人生を辿り、「後妻業」と言われる犯行をするようになったのか。

 1946年11月、千佐子は長崎県で生まれた。だが、母親は未婚だったため、生後すぐ福岡県北九州市の夫婦に養女に出されている。勉強はできたようで、高校野球の名門としても知られる福岡有数の進学校・東筑高校に進学。卒業後は都市銀行の地元の支店に就職したが、旅先で知り合った大阪府の男性と交際し、24歳の時に結婚。そして大阪で結婚生活を営み、1男1女をもうけた。

「最初の旦那さんとは、結婚して良かったと思いますか?」と聞いてみた。千佐子は「最初のうちはね」と言った。「結婚して、生活がかかってきたら、相手が好きかどうかより、食べていかんとあかんから。子供が産まれたら、育てんとあかんしね」

 ちなみに人生で一番幸せを感じたのは「子供を産んだ時」だったそうだが、現在、子供たちは面会に一切来ていないという。

「エエことして捕まったわけやないから当然です。最初から子供はいなかったと思うようにしています」

 人生の分岐点になったのは、最初の夫の病死だ。千佐子は当時47歳。子供らは大きくなっていたが、夫婦で営んだ印刷会社を女手一つで切り盛りせねばならなくなった。「工場を建てるのに借りたお金が1000万とか2000万とかありました。それを返すのに“必死のパッチ”です」

 だが、バブル崩壊の影響で2001年、印刷会社は廃業。千佐子はこれ以降、複数の結婚相談所に登録し、見合いを重ねるようになった。