表面では飄々としていても、内側に燃えるものを持つ。それが穴水という土地が育む力士の気質なのかもしれない。「内に秘めた強さ」は、大森選手と北陣親方に受け継がれた、穴水の相撲人の共通項だ。
「釣れたおいしい魚を食べることが趣味です」――リフレッシュの場、ふるさとの川
厳しい稽古の合間、大森選手が心と体を癒やす場所があった。穴水町を流れる川だ。
「休みの日はそこで魚釣りをして、釣れたおいしい魚を食べることが趣味です」
大森選手はそう語り、少し照れたように笑った。自分で捌くのか、という問いには「母親に捌いてもらいます」と返した。その答えがいかにも大森選手らしい。
春養さんはその川を指差しながら言った。
「この川です。ここにはハゼがいるんです。普段、学校で厳しい稽古をして、こっちに帰ってきて、心身をリフレッシュする場だったのかなと思います」
ふるさとの川のほとりで、竿を垂らす。それが大森選手にとっての「休息」であり、再び土俵に向かうエネルギーの源だった。
「いつか僕もこっち側に」――能登半島地震が変えた、ふるさとへの思い
しかし、そのふるさとは大きな傷を負った。2024年元日の能登半島地震だ。穴水町も甚大な被害を受け、大森選手自身も一時、避難生活を余儀なくされた。
避難所での生活の中で、大森選手はある光景を目撃した。
「避難場所で、町の方たちがテレビで大相撲を見ていて、遠藤関をすごく応援して、勝ったときにすごい喜んでいたので、いつか僕も、こっち側になりたいなって」
その言葉には、「プロを目指す」を超えた重みがある。被災した人々が、テレビの向こうで戦う同郷の力士に熱狂し、その勝利に涙を流すほど喜んでいた。その姿が、大森選手の胸に深く刻まれた。
春養さんも息子の変化をこう感じ取っていた。
「地震を契機にふるさとを大切にしたいっていう気持ちが強くなったんだと思います。前はそこまではなかったというか、ないことはないだろうけど、ふるさと、『能登』っていうのが頭の中にあるんだと思います、今」
地震という理不尽な災害が、大森選手に「自分が戦う意味」を与えた。穴水町の人々のために、能登のために、土俵に立つ。その覚悟は、単なる競技への情熱をはるかに超えたところにある。






