所有をしない暮らしは、共同体のなかで、物資を分け合います。
食料も道具も家も、すべての物は仲間たちで共有します。
基本的に個人で物を持つ、という考え方はありません。
原始共産制と言いますか、物の権利はみんなに帰属するのが、狩猟時代でのルールでした。
その歴史は、1万年前の農業革命で大転換しました。
人類は大地を掘り起こし、農耕技術を身につけました。
作物をつくり、貯蔵して、家族みんなで食い繋ぐという知恵を得ました。
この知恵によって、飢え死にや病死、狩りで負うケガなど、生きていく上でのあらゆるリスクを、大幅に減らしました。
人類は寿命が延び、文明が進み、子孫が増えていきました。
農耕は、まさに人類の最大の救世主とも言える発明でした。
一方で、人類は地べたに縛られる運命になりました。
生きるのに農地を守ることが何より優先され、狩猟時代のような移動の旅はできず、一年中土地の管理に追われます。
天候や天災にも悩まされ、不作のときには、近くの共同体と争いが起きることもあります。
何より、所有の概念が生まれてしまいました。
貯蔵した作物は、製造した者が「所有権」を主張し、独占しようとします。
すなわち資源という概念の誕生です。
格差社会の始まり
資源とは、消耗品。狩猟時代のように「なくなったら取ってくる」という理屈は通用しません。
所有者の同意がなく、分け合ったり奪われたりすると、争いが起きます。
所有の攻防を経て、力を持った一部の人々は、資源の獲れる土地そのものを、独占しようと考えました。
企ては成功しました。富める者が土地を持ち、貧しい者たちは、資源生産のために下働きする、格差社会が始まりました。
より豊かな資源を求める支配者たちは、武力を持ち、土地の収奪に臨みました。
格差の下の人々は、時に反旗を翻し、同じく武力で富める者たちと、激しく衝突しました。
所有を満たすために、誰も彼もが血を流す。
極論、人類の戦争の歴史は、農耕技術の発明と共により強まっていまに至っています。
農耕技術で、飢えるリスクが減ったのは、いいことかもしれません。
しかし所有の概念によって、人類は土地の管理に一生を費やし、資源を巡って争い続ける未来を、強制的に選択させられたわけです。
あえて言うなら地面の奴隷。人類は全員、土の言いなり。土にこき使われる存在となりました。哀しい事実であります。