施設に入る前のインタビューでは、佐藤愛子さんの自他を見る目は冷静で、全体にそこはかとないおかしさが漂い、ぼけかけているというのは“リップサービス”かのようでした。しかし、体調を崩したと娘の響子さんから連絡があり、継続が不可能に。そこで娘の響子さん、孫の桃子さんに「作家・佐藤愛子」のありのままの姿を語ってもらいました。『ぼけていく私』からその一部を抜粋してお送りします。
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百二歳の母と娘と孫の距離感
響子 母は自分の子育てのことを話題にする時、「呵責」という言葉を使うんです。私にすまないことをした、と。だけど母が呵責を感じているところと、私が母に「謝ってくれよ」と言いたいところは、全然違うんです。
桃子 その話、よく聞いてます。
響子 夜中まで母が原稿を書いている机の横で、幼い私が寝ていた。寂しい思いをさせたと何度も書いたり話したりしているけど、そんなことより当時の私にはサンタクロースが来なくなったことが一番の問題で。
桃子 九歳で終わったんでしょ。
響子 八歳までは朝起きたらあったんですよ、プレゼントが。だから「なんで?」「なんでうちにはサンタさん来ないの?」って聞いたら、「大人になったってことでしょ」って突き放された。サンタさん、信じてたのに。
桃子 与えないのが美徳って発想なのかな?
響子 いや、単に忙しいとか買い忘れたとかだと思う。そのくせ「小学校の担任のN先生が笑ってたけど、クラスでサンタクロース信じてるのあんたとあと一人いただけだって」と言ってる時、すごく微笑ましそうなんだよね。
桃子 祖母には自分なりの子育て像があって、そこにはすごく自信があるんだけど、自分自身があまりに特殊な育ち方をしたから、実際の娘の気持ちは全然わからないんです。すごく印象的なのが、乳母という人の言葉。「私を作った言葉」の一つとしてあげていて。
〈私の母は母乳の出が悪くて、私は乳母に育てられました。(中略)私が小学校に行くのが嫌だ、あれは嫌だこれは嫌だと、今でいう登校拒否になっている時にこう言ったんです。
「お嬢ちゃん、なんぼお嬢ちゃんやかて、大きゅうなったらどうしてもせんならんということが、世の中にはおますのやで」〉
(『それでもこの世は悪くなかった』文春新書)
響子 きょうだいの中で自分が一番可愛がられたって何度も書いてますからね。母は今、認知症が進んで、私と姉の早苗を混同していますが、「申し訳なかった」と言って泣く時があるんです。紅緑はおいしいおかずの時はいつも「愛ちゃん、これお上がり」って母にだけくれたそうなんですよ。母はそれを当たり前に食べていたって。姉ちゃんに可哀想なことをした、って泣くんです。でも早苗さんにしたら、妹だからと割り切っていたかもしれないじゃないですか。勝手に母が自分のフィルターを通して可哀想がっているだけかもしれない。
桃子 ストーリーを組み立てているんです。
