102歳を迎えた作家の佐藤愛子さん。現在は介護施設に入られていますが、自身の「家」への思い入れはとにかく強かったといいます。

 佐藤さんが結婚後、太子堂に新居を買ったのは1957年のこと。夫の借金で「三番抵当」までついた自宅を、夫が逃げた後も「書く」ことで守り続けてきました。94年に二世帯住宅として建て直しますが、そこでも新たな問題が発生し……。

 娘の響子さん、孫の桃子さんに、佐藤さんの「家の履歴書」について伺いました。『週刊文春WOMAN 2026春号』より、一部を抜粋の上ご紹介します。

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妊娠中、ひどい不安神経症に……

 生まれ育った佐藤家を父・紅緑の代から描いた代表作『血脈』(01年刊、文藝春秋)などから、佐藤さんの住まい歴を振り返る。1949年、紅緑が死去。戦時中のモルヒネ中毒から回復しない最初の結婚相手の家を出て、世田谷区上馬の母・シナの家へ。50年から小説を発表。56年に同人仲間の田畑麦彦と結婚し、翌年にはシナと田畑が家を売ったお金で太子堂に新居を買う(費用は田畑が3分の2、シナが3分の1)。67年、田畑が事業に失敗、膨大な借金を作る。偽装離婚、田畑の再婚、肩代わりした借金の返済など顛末を描いた『戦いすんで日が暮れて』で69年、直木賞を受賞。

響子 60年に私が生まれたのは、太子堂のあとに住んだ、目黒の祐天寺なんです。サイレント時代の有名な映画俳優がファンに建ててもらったスペイン様式の立派な家で、シナさんも一緒でした。そこで妊娠中の母はひどい不安神経症になるんです。医師からは「産めば治る」と言われていたけど、治らなかった。父がものすごく心配して、「天狗の神様」と呼ばれる占い師の所に行ったら、「そこの家は最悪。住む人住む人をちゃちゃめちゃにするから、すぐ引っ越しなさい」と言われたそうです。実際、そこを借りて住んだ方の中には不幸な死に方をされた方もいた。で、幸いこの太子堂の家がまだ売れてなかったので戻ったんです。

佐藤愛子さん

桃子 あんなに気に入ってた家なのに、一度は売りに出していたんだ。

響子 うん。もともとはお隣もうちの敷地だったけど、戻る際に半分売ったんですよね。そのお金で新しく建て直したんだと思います。

桃子 不安神経症はなぜだったの?

響子 私が聞いた時は、「ばあさんのせいだよ」って。実母のシナさんのことです。ものすごく厄介な人で、家を買って一緒に住んだ時に「私はこれだけないとダメ」ってかなりの面積を主張したらしいんです。だから広い祐天寺に移ったわけだけど、その前から発症していたかもしれないですね。