「降版」まで時間がないが…「すべて地震ネタでいくぞ」

二十二時十五分 熊本市・本社

 永森は、息子が運転する車で熊本市中央区世安町にある熊日の本社に向かっていた。

「編集部門」のキャリアが二十年以上の永森は、紙面の見出しやレイアウトを付ける「整理」のエキスパート。柔和な性格のため、編集局の信頼を集めている。地震発生直後に局長の丸野がまっさきに永森に電話をかけたのはその証左だ。現在は編集総務として、各局の折衝などを行う“調整役”を務めている。

 地震は永森が家族とともに市内の自宅で食事をとっていたときに起こった。テーブルの下に避難したのは生まれて初めてだった。強く、経験したことのない揺れだった。いつもは自らハンドルを取って出勤するのだが、すでに晩酌を始めていたので、息子に運転を頼んだ。

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 本社に着くと、停電でエレベーターが停止していた。永森は編集局がある四階まで駆け上がった。編集局は見たことがない姿を晒していた。本棚は倒れ、記者たちの机の上に置かれた書類のほとんどが床にまき散らされ、スクラップ類も散らばっている。

「一面はすべて、二面、三面、一社面(第一社会面)、二社面もすべて地震ネタでいくぞ」

 部屋の中央で陣頭指揮を執っているのは、十五日朝刊の編集責任者である「ニュースセンター長」の花木弘(56)だ。新聞づくりは一日も欠かさず行われるため、センター長はローテーション制である。花木は運動部長も務めたスポーツマン。キビキビと指示を出している。

 通常、大きな事件や事故が無い場合、朝刊の一面には三~四本のネタが入る。十五日朝刊のネタは決まっていた。熊本大学発生医学研究所の研究グループが世界で初めて腎臓の元細胞を増殖することに成功したというニュースがその一つだ。

 花木とタッグを組む編集一部長の末廣淳(55)は、このネタを四面に追いやり、紙面に大きな空白をたくさん作る方針を打ち出していた。

 一方で「そんな分量を埋められるほどの材料が来るだろうか」という懸念も末廣は感じていた。現場に向かった記者たちから写真やデータが送られてくるのは早くても二十三時を回るだろう。印刷局にまわす「降版」まで一~二時間しかない。

 永森は末廣のもとに歩み寄って声をかけた。

「大丈夫。埋まらないことはない。必ず来るから。県民誰も経験したことのない大きな地震だ。出来る限りの材料を紙面に盛り込もう」