「私……現場に入ります!」
しかし、編集局の一角では厳しい顔をして腕を組んでいる男がいた。社会部長の泉潤(54)だ。堂々たる体躯と立派な髭のおかげで強面に見られがちだが、情に厚く、涙もろい社会部一筋の熱血漢。
地震があるまで、泉の頭の中は五月に大々的に展開する予定の「らい予防法廃止二十年」と「水俣病公式確認六十年」関連記事のことでいっぱいだった。しかし、もはやそれどころではない。今回のような大規模な自然災害が発生した場合、取材の中心になるのは社会部である。
泉は困っていた。甚大な被害が出ているという震源地の益城町までは本社から約十五キロの距離。すでに記者を何人か行かせているが、道路は寸断され、交通渋滞も酷いという。降版までに十分な取材をする時間を確保できるのか、心もとない。
局の入り口に社会部付の編集委員・浪床(なみとこ)敬子(45)の顔が見えた。泉は浪床にアンカーを務めてもらう予定だった。現場から上がってくる情報をまとめる役割である。
しかし、浪床は遠くから泉を確認するやいなや、「私……現場に入ります!」と大きな声を出した。見ると、浪床の目は真っ赤だった。
「待て!」と泉が声をかけた時にはすでに浪床の姿はなかった。浪床の実家は、益城町にあった。
直後、隣の政経部から「ウチに益城在住の奴がいる。町役場に入れるそうだ」という声がかかった。益城町にいるのは政経部デスクの奥村国彦(50)。かつて、泉が社会部デスクだった時代の直属の部下だ。
「奥村か。助かった! そのまま現場に入ってもらおう」
泉は叫んだ。部の垣根を超えた「オール熊日」での闘いがはじまった。
(文中敬称略、文責=「文藝春秋」編集部)
