こうした中でもドトールは、自分たちなりの「こだわり」と「コストパフォーマンス」を貫き、独自のポジションを築いています。
スターバックスをヒューム的、あるいはブルデューの用語で「贅沢の趣味」と表現しましたが、対するドトールは同じくブルデューの用語の「必要の趣味」の世界といっていいでしょう。安さ、素早い提供、喫煙ブース。これらは、労働者が生命活動を維持し、休息し、再び労働に戻るための生理的な必要を満たしてくれます。
ここではスターバックスと対比されるような「ドトールの体験」の背後に潜む社会の哲学的意味について考えてみましょう。
ドトールでコーヒーを飲む哲学的意味
コーヒーを飲もうとするときに、スターバックスでなくドトールを選択することは「センスのない」選択なのでしょうか。おそらく違うでしょう。
スターバックスが「演じる場所」であるなら、ドトールは「演じない場所」といえます。ドトールの明るい店内は、スターバックスのようなムードによる誤魔化しを許しません。明るい光の下では、営業回りで疲れ果てたサラリーマンのスーツの皺も、スポーツ新聞を広げる初老の男性の無防備な表情も、すべてが露(あら)わになってしまいます。そこには「演技」がありません。
ドトールにいる人々は自己欺瞞から降りているともいえます。彼らは「他者からどう見えるか」という自意識の呪縛から解放され、ただの「疲れた人間」「腹の減った人間」という、剥(む)き出しの「実存」としてそこに座っているのです。
「俺は280円のコーヒーが飲みたいだけだ。お前たちの『記号の消費』には参加しない」。この態度は、世間の価値観から距離を置き、自らの内なる尺度(味と価格のバランス、居心地の良さ)に基づいて決断を下す、極めて本質的な生き方ともいえます。
ドトールの機能的な椅子に深く腰掛けることは、消費社会が押しつける「幸福のテンプレ」に対する、静かなる拒絶といえます。ドトールは、資本主義の競争や、SNSでの見栄の張り合いから降りたものがたどり着く「実存のシェルター」なのかもしれません。
京都大学 経済学部 教授
1969年、千葉県生まれ。1992年、京都大学経済学部卒業。1995年、京都大学大学院経済学研究科博士後期課程中退。博士(経済学)。専門は国際経済安全保障、アメリカ経済、経営史等。富山大学経済学部助手、京都大学公共政策大学院准教授等を経て、2023年より京都大学経済学部教授。アメリカを中心とする国際政治経済や資産運用会社の研究を行っている。著書に『入門 歴史総合Q&A100』、共編著に『入門 アメリカ経済Q&A100〈第2版〉』『入門 国際経済Q&A100』(すべて中央経済社)などがある。
