萩原聖人さんが演じる東島(とうじま)龍の目は、希望も光も、景色さえも映さないほどの虚無をたたえている。あてどなく流れ着いたさびれた街のベンチで、くわえた煙草から吐き出す気は重い。
映画『月の犬』は、そんな男に引きずられるように始まっていく。
「東島は、何を見ても、何を食べても感じない、生(せい)を剥ぎ取られたような男だと思っています。口数も少ない。だから、演じるにしても何かを表現して見せるのとは違う、佇まいで感じてもらうことを意識しました」
写真立ての中で女が微笑むほかに何もない6畳間のアパート。客に高額の請求をする質(たち)の悪いバー。東島にとっての居場所はそれだけである。
「この人物には一体どういう過去があるのか。観ている人にそれを想像させることは、役者が負うべきテーマだと思っています。背に見事な刺青が彫られている。なら、東島は悪人なのか。どこかツキに見放されたような表情を浮かべている。ならば弱い人間なのか。では、危機に遭遇した場面で露わにする“生き抜く力”は何なのか。東島が見せるそれぞれの姿から、僕自身も街へたどり着くまでの時間を探っていきました」
東島が立ち寄った、その質の悪いバーは名波沙織(黒谷友香)の店である。沙織は、躊躇いなく支払いを済ます東島に興味を惹かれ、店で働かないかと声をかける。何もない男に、人とのかかわりが生まれる。
派手さやエンタメ性を前面に打ち出す作品ならいくらでも接続できる時代に、脚本、編集も行った横井健司監督は、静かで、影が濃く射す世界を見せていく。
「この作品は、ある時代や世界を舞台にした上で描こうとしたものが明確にあったと思います。それが何なのかというと、僕個人が勝手に考えたところでは“青春”だったのではないかと思っているんです。監督には、長く映画の世界で生きながら温めてきたイメージというのがあって、それを具現化したものがこの作品なのではないかと」
誰であれ、生を味わうことが青春なら、若さや陽が当たる場所だけのものではないはずだ。横井監督はそれをジャパニーズ・ノワールに込めて世に送り出した。
東島の何もない日々は、沙織、そして彼女を介して現れた、深水元基(ふかみもとき)演じる南辰也によって振れ始める。街を仕切る組織の一員である南は、ある目的で廃屋に軟禁する一人の少年の運命を握る男でもある。
「それまでかかわりもなく、誰の仇でもない南が東島と出会う。そこで何かを感じとるんですね。いま自分の人生にないもの、それを確認させてくれる、満たしてくれるのはコイツなんじゃないかと。まるで月のような静かな出会いが、時を動かすんです」
萩原さんはATGの精神を意識した本作に興味を持ったという。60年代から80年代、商業主義を排し、作品としての映画作りにこだわり野心作を多く生み出した映画会社、日本アー(A)ト・シアタ(T)ー・ギル(G)ドである。
「“Low(低) Budget(予算)”という条件下でも型に囚われない自由な発想と作り手の熱量がATGの作品にはありましたよね。社会からはみ出たところでしか生きられない人間が、何かを変えるでもなく、ただ生きる。それはある意味、死ぬことより絶望的です。でも、それが現代なのかもしれません」
はぎわらまさと/1971年、神奈川県生まれ。94年、映画『学校』、『月はどっちに出ている』、『教祖誕生』で日本アカデミー賞新人俳優賞、話題賞を受賞。『マークスの山』(95)、『CURE』(97)で同賞優秀助演男優賞他を受賞。近年も多くの話題作に出演している。




