「過激なテーマ」と「特殊な世界観」――『名無し』と題した映画について、佐藤二朗さんはそう表現した。
佐藤さんにとっては脚本と漫画版の原作、そして主演として関わったこの作品。あとは劇場公開を待つ段になってもなお、佐藤さんは本作に熱を注ぎ続けた。
「5年くらい前、誰に頼まれるわけでもなく書いたのがこの脚本です。書き始める時の動機は、だいたい、“こういう物語を書きたい”、あるいは“こんな場面を描きたい”のどちらかで、今回は後者でした。テーブルを挟んで向かい合う男女がたわいのない会話をしている。ところが男の手には鋭利な刃物が握られている。一瞬、お客さんは何を見せられているのか戸惑うわけですが、そんな違和感など置き去りに、女性が刺されていく――。そういう場面・設定が頭の中にあって、そこから脚本(ホン)を書いていきました」
この、一気に不穏へ転じる特殊で過激な物語が、佐藤さんが主人公の男を演じる『名無し』となった。
映画は、老若男女で賑わう白昼のファミレスで起きた無差別大量殺人で幕を開ける。無言で人を傷つけていく男。惨状を記録し続ける店内の防犯カメラは、男が振り上げる右手に何も映さない。凶器が見えないこの異様な事件に、人びとも、警察の捜査も混乱する。
「舞台演出家の堤泰之さんによく言われます。『二朗君の本には、不意をうつような、お客さんに冷や水をかけるような展開があるよね』と。それは意識してのことです。既成概念に冷や水をかけたいという思いは常にあって、それを日常の場面で描きたいし、演じてみたいんですよね」
『そのいのち』、『はるヲうるひと』。佐藤さんは過去にも舞台や映画の脚本を手掛けてきた。そこには絶えず、不条理な境遇でも微かな光を見つけ前を向く、負を抱える者の姿がある。
本作の主人公も負を背負い無情の中を生きる。しかし瞳に映るのは狂気である。
「子供の頃に観た『ROOTS』という、黒人奴隷の苦しみ、葛藤を描いたアメリカのテレビドラマもそうでした。人は生まれたときから同じスタートラインに立っているわけではない。中には理不尽で逆転不可能な場所から始めなければならない人もいる。神様は本当に気まぐれで、僕ら一人一人に配るカードの中に、明らかに残酷な札を混ぜることがあるでしょう? でもそういうことには負けたくないわけです。本当に青臭いし綺麗ごとなんだけど、神様のカード配りに抗えるのは、結局は人との繫がりとか温もりだと信じたいんです」
名前のない男と繋がるのは3人の人物だ。男の“名付け親”となる交番勤務の巡査(丸山隆平)。男の理解者でありながら、その狂気の引き金を引く女(MEGUMI)。そして、容疑者である男を異常なほどの執念で追う刑事(佐々木蔵之介)。皆、男に、そして男の右手に宿る特殊な能力に人生を変えられてしまう。
「劇中、人が次々殺されていく。そんなことあってはいけない、そう感じさせる力が映画にはあるはずです。そういう、難しい作品を引き受けて下さった城定秀夫さんは、監督として覚悟を持って臨まれたと思います。男が、怪物にも神のようにも映るのは、城定さんの乾いた目線を溶け込ませ、作品として高めて下さった映画技術のおかげです。本当に感謝しています」
さとうじろう/1969年、愛知県生まれ。96年、演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げ。全公演で作・出演した。以後、多数の映画、ドラマに出演。脚本執筆はドラマ、舞台、映画にも及び、映画『memo』(08年)、映画『はるヲうるひと』(20年)などでは監督も行った。




