友純の息子たち:さずかり婚で廃嫡
友純には3男1女がある。長男の住友寛一以外はすべて華族の子女と婚姻を結んでおり、住友家の婚姻戦略が家格上昇とその維持を意識しているものだとわかる。
住友寛一夫人は分家・住友保丸の養女とあるが、実際は庶民の女性で、1920年に親の反対を押し切って結婚し、(表向きは健康上の理由で)廃嫡されたという。そのため、次男の厚が家督を継ぎ、16代・住友吉左衛門友成となった(友純の子女を列記すると、長男と次男の年齢差が13歳あり、かなり不自然だと感じる)。
・長女・住友孝(1893〜1985)の夫、住友忠輝(1889〜1923)は下野壬生藩主の子孫で子爵の鳥居忠文の三男。学習院高等科を経て1914年に東北帝国大学農科大学特産学科の卒業と同時に結婚した。
忠輝の実家の鳥居家は、1877年時点ですでに負債を抱えた旧大名家の一つであり、長兄・鳥居忠一は三井高弘の次女と結婚している。持参金目当ての結婚だろう。それに味を占めて、忠輝を婿養子に出したと思われる。
・長男・住友寛一(1896〜1956)は学習院中等科から暁星中学校に転じ、1915年5月から1年間米国に遊学。帰朝の3ヶ月後の1916年8月に長女が誕生、1920年7月に結婚した(今風にいうなら、さずかり婚である)。姉・孝もドイツ遊学の経験があるのに対し、二人の弟に留学経験が無いのは、寛一の結婚・廃嫡の一因を欧米遊学と考えたからだろう。夫人は住友保丸の養女。
・次男・住友吉左衛門友成(旧名・厚。1909〜1993)。夫人は西園寺公望の孫・春子。
・三男・住友元夫(1912〜2005)は学習院高等科を経て1936年に京都帝国大学物理学科を卒業、1946年に住友金属工業(現・日本製鉄)に入社した。製鋼所技術部長、研究部長、中央技術研究所副所長などを経て、1962年取締役中央技術研究所長に就任。1965年に常務、1970年に専務となった。1972年に住友金属工業相談役に退くとともに、子会社の住友精密工業会長に就任。1981年に住友金属工業および住友精密工業の監査役にそれぞれ着任。1989年に住友金属工業顧問となった。
なお、1953年に「軽合金の復元現象」により工学博士を授与され、1957年に大河内記念賞、1968年に科学技術功労者表彰を受け、1974年には藍綬褒章を受章している(便宜上、ここで記したが、経歴を見る通り、戦後の人物である)。夫人は若狭小浜藩主の子孫で伯爵の酒井忠克の四女・寿枝子である。忠克には2男4女があり、長女こそ公家華族の西四辻家に嫁いだものの、あと三人の娘はみな金持ち目当ての結婚と思われる。次女の夫は岩崎弥太郎の孫で、四女は住友吉左衛門の末男。三女の夫は讃岐高松藩主の子孫・松平頼明なのだが、頼明の父・松平頼寿は大名華族の中でも五指に入る富豪なのだ。