日本経済の基礎を築いた三菱財閥の岩崎家。彼らの圧倒的な財力は、その「結婚事情」にも如実に表れていた。三菱財閥4代目社長・岩崎小弥太の弟である俊弥(旭硝子創業者)は、ある日、博覧会に飾られていた“絶世の美女”の写真を見て一目惚れし、見事結婚に漕ぎ着けたのだが、その結婚費用は現在の価値にして「十数億円」にのぼったというから驚きだ。

 ここでは経営史学者・歴史家の菊地浩之氏の著書『財閥と閨閥 10大財閥の婚姻戦略』(角川新書)の一部を抜粋。規格外の婚姻戦略の内情を紹介する。

三菱ビル(東京都千代田区丸の内) ©AFLO

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四代・岩崎小弥太

 弥之助の長男・岩崎小弥太(1879~1945)は東京市神田区駿河台の岩崎邸で生まれた。東京女子師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)、学習院の予備科第六級(小学1年生)に入学。1888年に高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に転校し、1891年に同校の中等科に進んだ。1896年に旧制一高第一部(政治科)に入学し、1899年9月、東京帝国大学法科大学政治科に進学。翌1900年7月に中途退学し、英国へ留学。1902年10月ケンブリッジ大学ペンブローク・カレッジに入学。1905年9月に同校を卒業。翌1906年に帰朝して同5月に三菱合資副社長に就任。1916年7月に38歳の若さで4代目社長に就任した。

 前社長の岩崎久弥は52歳。万事控えめな性格で、いかにして世間からその存在を忘れられるようにするかに努めたという。一方、小弥太は強いリーダーシップを発揮する積極果敢な性格だったので、早めに社長交代に踏み切ったようだ。

 ただし、本家筋の久弥と分家筋の小弥太には微妙な緊張関係があったらしい。「三菱には戦前、戦中、岩崎久弥と岩崎小弥太の両家があって、共に号令をかけていた。この二人の実力が伯仲で一種緊張した関係にあり、当人同士は直接対話することができなかったのです。それで、二人の当主の間を行ったり来たりして、両家の調整役をしたのが(三菱銀行頭取で、戦後の三菱グループ結集に大きな影響力を及ぼした) 加藤武男だったんですよ」(『週刊新潮』1990年3月2日号)。