現在NHKラジオ『Nらじ』金曜日キャスターを務める杉田淳(すぎた・まこと)さん(56)は、文字を目で読むことができない中途視覚障害者。1993年に入局、第一線の記者として飛び回っていた20代で緑内障を発症し、視野が狭くなる恐怖と絶望、人生とキャリアへの葛藤を味わいながら、前へと歩みを進めてきた。
頑張りたいのに、身体がそれを許さない――。思い描いていた人生が崩れそうになった時どういう想いで「立って」いたのかを、今、杉田さんが振り返る。(全3回のうち第1回)
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“目に見える”ものを扱いたかった
――なぜ、就職先はNHKだったのですか。
杉田淳さん(以下、杉田) 経済学部だったことと、バブルの余韻が残っている時代だったので、金融が人気でした。でも、その瞬間の手応えが自分自身で実感しづらい“目に見えないもの”を扱うよりも物作りに携わりたいと思い、メーカーを受けました。内定ももらっていたんですが、友人から「文系のお前が何か物を作れるわけじゃねえだろ」と言われ、確かにと思って。
一方、学生時代、僕は他大生や留学生と共同生活をする寮に住んでいて、そこにはアフリカの王子だとか、ブラジルの大臣の息子とか、本当かどうか疑うレベルのユニークな背景をもつ連中がたくさんいたんですよね。そうした生活の影響から「世界」には興味があったので、ならばいろいろな世界を見ることができるマスコミを目指そうと。
NHKの面接で「君は何故、メーカーとうちを受けているのか」と聞かれ、「物の豊かさを作るのがメーカー、心の豊かさを作るのがNHK。今の時代は心の豊かさを求めていると思うので、NHKに入りたい」と言ったら通りました。心の豊かさなんていちばん“目に見えない”から、最初自分が言っていたこととは相当矛盾してるようですけど(笑)。
入局3~4年目で目に感じた異変
――新卒で配属された地は、宇都宮だったとか。
杉田 宇都宮放送局に5年いました。アットホームで先輩にも恵まれ、記者の手ほどきを受けた場所です。事件があればすぐに駆けつける。寝ている時間以外はずっと働いてるような、忙しい時代でしたね。
夜中まで酒を飲んでいても、ポケベルの鳴らないところには行かないのが鉄則でした。今のようにネットも発達していない時代ですから、自分の居場所を常にハッキリさせておかなくてはいけない。職場に「これから映画館で『タイタニック』見ます」と連絡したこともあります。長い映画(189分)で、その間は基本的に動けないよということをわかってもらうために、作品名まで言うんです(笑)。
ショルダーホンを背負って山奥の現場に行ったりね。もともと陸上部の長距離ランナーで体力には自信があったので、とにかくガツガツ、ガツガツしていました。

