まるで“砂時計の砂が落ちる”ように緑内障が進行していった
――当時30代半ば。政治部で、仕事の責任も重たくなってきた頃では。
杉田 まさしく、そういう時期でした。責任にやりがいや自負も生まれてくる。その一方で日に日に目が不調になるという葛藤が、本当にしんどかったですね。
人を見間違えるだけでなく、雰囲気も掴みづらくなり、国会の廊下を歩いていく議員の後ろ姿を見て、「先生!」と声をかけたら全然知らない人。国会議員ってみんなスーツ着て、ただでさえ似て見えるんですよ(笑)。でも相手も「お前誰やねん」って驚愕ですよね。しかも仕事関係で、それはマズい。
視力が弱くなっているから手元さえも見えなくなっていて、自分の書いたメモが読めない。文字が汚いうえに、見えないままなぐり書きをしているから、もうわけがわからないメモのできあがりです。
緑内障って、虫食い状に視野が狭くなり、視界が欠けていくんです。100見えていたものが1見えなくなるぐらいなら、あまり問題はないかもしれない。でも、その後は99から1見えなくなり、50から1見えなくなり……と、全体の視野が狭まって見えなくなっていく。だから、見えなくなる速度は早まっていくように感じます。砂時計も、最後のほうは早く落ちてゆくように見えますよね。これが、“砂時計の砂が落ちる感覚”です。
今から思うと、異変はあちこちに潜んでいました。報道局で部対抗のソフトボール大会があった時のこと。当時政治部には、現在『報道ステーション』(テレビ朝日系)キャスターの大越健介さん(64)もいて、あの方は東大野球部のエースだし、僕も中学まで野球やっていたから、みんなガチなんです。僕はライトを守ってたんかな。で、フライがぱっと上がったと思ったら、ボールが消えた。緑内障の影響です。僕はボールを取りそこねてずっこけてしまい、「ボールが消えた」と言っても、みんな信じてくれない。そりゃそうですよね、傍目には健康体そのものなんですから。
本当に徐々に徐々に支障が出てきて、下り坂が止まらない、まだ少し見えている頃から恐怖心はありましたよ。朝起きて、目を開けたら天井が見えますよね。その時の見え方で、「あ、また悪くなってる」ということが突きつけられる。視覚障害の辛さは、起きてる間中、自分の障害を見つめなくてはならないことですね。
