70年代後半から80年代にかけ「水曜スペシャル」(テレビ朝日)の枠で放送され、子どもたちをテレビの前に釘付けにした「川口浩探検シリーズ」(1978~1985年)。未知の生物や未踏の秘境を追い求める探検隊の冒険は“ヤラセ”と揶揄されることもあるが、そこに“真実”はあったのであろうか。

 ここでは、時事芸人のプチ鹿島さんが「川口浩探検シリーズ」の裏側に迫った『ヤラセと情熱 水曜スペシャル『川口浩探検隊』の真実』(双葉社)より一部を抜粋。番組にも登場していた元隊員であり、現在もテレビ制作会社でディレクターとして活躍する内藤宏が語る、まさかの真実の数々を紹介する。(全2回の1回目)

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川に流された仲間も…「ヤラセ」と揶揄された番組の裏にあったドキュメント

「とある村に行った時に、『日本人が来たのは太平洋戦争以来だ』って言われたんですよ。あの戦争で2人日本兵が来たけど、40年ぶりぐらいに僕らが来たって(笑)」

 NHKならこれだけで1本のドキュメント番組ができるだろう。そんな場所にロケをするため、せっせと1トンの機材を運ぶ。

 現場のスタッフはどれくらいの人数だったのだろうか。

「ディレクターとADと恩田(光晴)さん。コーディネーターと音響とカメラが4人。それと出演者が川口浩さん。総勢15人くらいかな」

 ADは撮影環境を整わせるための雑用が数多い。どんなハプニングがあったのだろうか。

「あんまり言いたくないけど、川の中州にテントを張っちゃったことがあった。ちょっと船を停めてね。そしたら大雨が降ってきて、中州が全部川になっちゃった。それで慌ててテントもぐちゃぐちゃに畳んでみんなびしょ濡れになって。それで船で待機しました。怒られたなあ」

 生死をかけた瞬間もあった。

「本当に川に流されたやつがいるんですよ(笑)。最初は現地のコーディネーターが『お前の仲間、泳いで行っちゃったよ』と。よく見たら泳いでるんじゃなくて流されてる。死者が出たら番組は絶対に終わる。みんなで懸命に探して。バッテリーライトを照らしながらずっと川を探したよ。そしたら木に必死にしがみついて『おーい!』ってやってた(笑)」

 サバイバルに関しては全員が素人。現在なら専門家をつけるだろうが、番組当初はいなかった。よくぞ事故が起きなかったものだ。

「泊まるところも本当に集落に毛が生えたような場所ですよ。日本で言うと山の中の一軒家に住んでる人と交渉してね、日本のタオルとかボールペンとか大量にお土産として持っていくんですよ」

 日本でストーリーラインをつくるというが、現地でどれくらい台本は変わるのだろうか。

「2週間ぐらい(事前の)ロケハンに行きます。で、戻ってきて大体こういうのが撮影できるよっていうのが台本に書いてあるだけ。『歩き』とか『ジャングルの中』とか『何か見つけた』とかしか書いてない。だから、現場でどんどん変わるんです。その日に珍しい動物が急に撮れたりとかでね。エリマキトカゲも、日本でブームになる1年前くらいに水スペで放送してますよ」

 隊員役としてのロケと現場での本当の実務。スタッフには仕事が2つある。

「テレビに映る探検隊って、夜はみんなで食事や酒盛りしてますよね? 画面上はそうですが、仕事はそれで終わってない。VTRがちゃんと撮れてるかどうか、30分テープを5、6本、現地でチェックしていくんです。明日の撮影準備やリュックの用意もある。食事だって現地の人が用意してるっていう体ですけど、僕らがブタ捕まえて丸焼きつくりましたからね。これ、現地っぽいですよね? とかって提案しながらね(笑)。

 朝は4時か5時ぐらいに起きて朝食の準備をして、メシを食って、ロケ地まで行って、大体お昼ぐらいまで撮影して、お昼に簡単なものを食べて、そのあと夕方まで撮影して夜にVTRチェック。それを夜の9時とか10時ぐらいまで。いや、もっとかな? 1回のロケで15キロぐらいやせますから」

 例えば、50日間のロケ日程の工程は「ブラジルで3週間、そのあとベネズエラに行って3週間。2人いるディレクターのうちの1人がテープを日本に持って帰って編集です」。

 なんという修羅場。我々はずっと冒険の話を聞いている。ここまで大変な思いをして制作していた番組だが、ヤラセとの批判には、どう思っていたのだろうか。