ついに逮捕

 怪しいと思った兄は「失礼ですが、この自転車はあなたのですか」と声をかける。対して大久保は相手のジャンパーに〈竹村製作所〉とあるのを見て「待っている人が来たから」と意味不明なことを言って慌てて立ち去ってしまう。

 兄は男の乗ってきた車のナンバーを覚えており、すぐに警察に通報。午前10時20分、県警交通指導課がナンバーを照会して、マツダの「群55な285」のロータリークーペの所有者が大久保清であることを確認する。

 群馬県警はさっそく、大久保の自宅に捜査員を派遣したが、本人の姿はなく、両親に聞いても要領を得ない。そこで捜査員150人が70台の車に分乗し、県内18ヶ所を捜索。

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 13日18時半ころ、警察とは別の民間捜索隊が前橋市内で大久保を見つけ、前橋署に身柄を引き渡した。

 強姦致傷罪・強姦罪・殺人罪・死体遺棄罪で起訴された大久保の裁判は1971年10月25日より前橋地裁で始まった。大久保は起訴事実を全て認め、「何も言うことはありません」と供述。

 2年後の1973年2月22日に同地裁は死刑を言い渡し、大久保が期限までに控訴しなかったため刑が確定する。

 身柄を東京拘置所に移送された大久保は同年10月、獄中から『訣別の章 死刑囚・大久保清獄中手記』を刊行し、その中で〈自分は「自己を失い、ただ性欲の野獣となった」ように見られているが、そのことはどうでもよい。私が犯された罪がいかに重大か知る人はいない〉という被害者意識とも取れる文章を記した。