失禁しながら刑場へ⋯

 死刑執行は1976年1月22日。氷点下3.9度というこの冬一番の冷え込みを記録したこの日の朝、独居房の鉄扉が開き、警備隊員たちに取り囲まれた拘置所保安課長が「番号と名前、生年月日を言いなさい」と言うと、大久保は初めて刑の執行を理解し、へなへなと床にへたり込んだ。

 警備隊員に引きずられ、失禁しながら刑場へ。拘置所の所長が「これでいよいよお別れだね」と告げると大久保は顔面を紅潮させ、体をわなわなと震わせ、その場で腰を抜かしてしまう。「何か言い残すことはないか。あったら今ここで何でも言いなさい」という言葉にも答えられず、弱々しく首を横に振るだけだった。

 両脇を刑務官に支えられて立ち上がり、読経が流れるなか、絞首刑執行(享年41)。

ADVERTISEMENT

写真はイメージ ©getty

 死刑確定から2年10ヶ月後の執行は当時、一般死刑囚と比較しても異例の速さだった。

最初から記事を読む 「お医者さんごっこよ」麦畑で幼女の下腹部にイタズラしたことも⋯母親から「わいせつ行為」を許され続けた小6男子【恐るべきその後】(昭和46年の事件)