事件を振り返った1961年発行の『信濃毎日新聞』によれば、当時の捜査員たちは草も食べていたような状態であり、その大半が体重を5~10キロ減らしていたという。

犯人は単独犯

 こうした捜査員の事情に加え、物証が凶器の斧と被害品の米俵のみだったこと、被害者宅が人里離れた山腹に建つ一軒家だったため事件発生から発覚まで1日を要したこと、事件当夜が大雨で足跡などが洗い流されていたこと、事件発生時に村民が鐘を打って事件を全村に知らせ警察官より先に現場に駆けつけた住民が、凶器に手を付けたり死体を動かしたりしていたことなどから、現場鑑識による犯人特定をより困難にした。

 それでも、警察は凶器や犯人のものと思われる足跡がそれぞれ1つずつしかなかったことや、犯人が犯行後に現場から約300メートル離れた洞窟まで玄米を運び出すために数回往復していることから、単独犯であると推定。

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写真はイメージ ©getty

 また犯人のものと思われる足跡が大きかったことや、被害者7人を1、2回の殴打でそれぞれ即死させたこと、1人で玄米を運び出せたこと、現場から米を盗んだ一方で金目のものには手を付けていないこと、無抵抗な被害者たちを次々と惨殺している点から、現場に土地勘のある地元住民であると犯人像を絞り込んだ。