そのうえで、隣接する町村や飯田市内全域で、盗癖者、素行不良者(前科者など)、身分不相応の金銭消費者、食糧品ブローカー、復員軍人・朝鮮人・疎開転入者など約400人を調べた結果、被害者一家と同じ集落に住んでおり、かつ子供が多く生活苦に悩んでいた1人の男性が浮上する。が、犯行を裏づける証拠は得られない。

村人同士で疑心暗鬼に

 集落の住民たちは疑心暗鬼に陥り、特定の人物を名指しで犯人呼ばわりする者が現れたところ、名指しされた側が逆に自分を犯人呼ばわりした住民を犯人呼ばわりする事態が勃発、最終的には最初に「あいつが犯人だ」と言いふらした住民は後に自殺したという。

 事件から3年後の1949年4月1日、富山県警から長野県警へ、富山県で窃盗事件を起こして現行犯逮捕された男が本事件の犯人であると自供したという連絡が入った。

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 これを受けた長野県警の捜査員は男を取り調べたものの、死刑に相当する殺人事件を窃盗犯が積極的に自供したことはいかにも不自然で、供述内容も事実と矛盾していた。結局、この「自供」は長野県出身の男が富山県の刑務所ではなく、郷里である長野の刑務所に入るために行った狂言であることが判明した。