「応援要請があっとんやけど、ちょっと行ってくれん」と言われ…

 現場の指揮官として、捜査の全容を知る立場にあったT班長は、「言えないことも多い」としながらも、重い口を開いてくれた。その理由について、「難しいとされる『死体無き殺人事件』にどのように対処したのか、後進の者に伝えなければならないと思って」と語る。

 もちろんそこには、事件解決のために奮闘する現場の捜査員たちの苦労と矜持を、少しでも知ってもらえればとの思いもあるようだ。

「みんなそれこそ寝食も忘れて、長期間にわたって家庭を顧みることなく、捜査に打ち込みましたからね。そんな部署があることも、伝えておきたいという気持ちもあります」

ADVERTISEMENT

 そう口にしたT班長は、24年前の出来事について、ついこの前のことであるかのように切り出した。

「(3月8日の)昼頃に、中村(俊夫)捜査一課長から呼ばれて、『小倉北(署)から少女監禁で、応援要請があっとんやけど、ちょっと行ってくれん』って言われたんです。まさかそれから1年半もかかりきりになるとは、想像もしとりませんよ……」

 そのときT班は5名態勢だった(*後に宮崎県警からの研修生が加わり6名態勢になる)。少女監禁の事案ならば、少年課の特捜班が動くはずではと訝りながらも、「じゃあちょっと見に行こうか」と、班員を率いて小倉北署に向かったのだった。

「とりあえず行ったんですけど、とにかく署内がごった返している。それで2階にある刑事課に上がったら、奥の刑事課長の横の机で、誰かが座ってパソコンを打っているんですよ。まあ私も、長いこと刑事をやってますから、それが警察官じゃないことはわかりました。で、奥の部屋で管理官に話を聞くと、課長の横にいたのは、地検の検事とのことでした。なんでも保護された女の子が、自分の父親を含む7人が殺害されたことを、全部話しとるというんです」

 検察官がこうして刑事課にいることも異例であるが、それにも増して、初期段階で少女がすべてを語っており、警察が犯行の全貌について把握していたという、予想外の事実に驚かされる。

「もちろん、最初は少女からそう聞かされた方も半信半疑ですよ。だけどそれで、彼女が言うてた場所にガサ(家宅捜索)をかけたら、実際に子供が保護されたりしとるでしょ。ああ、これは本当だってなったんです。そういうことを管理官と話しまして、『もうこれは一課長に言うて、うちが入りましょう』ってその場を離れたんです」