リーゼント姿で恋愛マンガを持ち込み、編集者に笑われた
約束の時間に遅れて現れた担当者に、作品を渡す。初めて、プロの意見を聞くのだ。緊張しながら様子を見ていたら、その担当者が噴き出した。
当時、リーゼントでバッチリきめた森川さんが持参したのは、少女マンガのような悲しいラブストーリー。内容ではなく、森川さんの見た目と内容のギャップに驚いて、こらえきれずに笑ってしまったと言われた。
「不良だったわけじゃありません。当時、リーゼントが流行ってたんですよ。でも、その頃、すごい生意気でしたからね。笑われた時は、なめんじゃねえよって思いましたよ」
作品についてのアドバイスは特になく、「早く次の作品を描いて、また持ってきてください」と言われて、帰路に着く。1週間後、その担当者から電話がかかってきた。
「月例賞の選外佳作に入ったよ」
作品を受け取っていた担当者が、なにもいわず、週刊少年マガジンで月に一度開催される「月例賞」に出していたのだ。週刊少年マガジンに売り込んだのは、ちばてつやがずっと連載をしていたから。憧れの存在と一緒の雑誌に名前と自分の絵が小さく掲載されて、「涙が出るほど嬉しかった」と振り返る。
読み切りデビュー後、アシスタント生活を選んだワケ
実は森川さんは中学を卒業したらプロのアシスタントになろうと考えていた。しかし、親から「高校ぐらいは行ってほしい」と言われて、渋々と進学した。だから、「学校の授業なんて必要ない」と、学校でも自宅でも、ひたすらマンガを描き続けた。
2作目は、再び月例賞の選外佳作。3作目は月例賞で入選。そして4作目、より注目度の高い新人賞で、暴走族を描いた『シルエットナイト』が準入選に選ばれ、週刊少年マガジンに読み切り掲載が決まる。
1983年、17歳にして誌面デビューを飾った森川さんは、この受賞を機に華々しい道を……ということではなく、編集部に頼み込んで念願のアシスタントを始めた。我流でマンガを描いていた森川さんは、自分になにが足りないのかをわかっていたのだ。
授業を終えると電車に飛び乗り、マンガ家のもとへ通ってプロの技をどん欲に吸収した。現場で教わったことは家に帰ってからも、学校の授業中もずっと練習した。
「なによりも線が大切なんですよ。何千本、何万本と線を引かなきゃ、いい線を描けるようにならない。練習してる時は楽しかったような気がするな。上手くなっていくのが、手に取るようにわかるから。現場で見たものを反復してできるようになると嬉しいですよね」
学校もアシスタントも休まず通い、反復練習しながら、30ページほどの読み切りを15日ほどで描いた。それは「起きている時間は、ぜんぶマンガで使う」日々だった。
この修業が実り、高校卒業間際に初めての連載が決定。月刊少年マガジンスペシャルで『インサイド・グラフィティー』という作品を描くことになった。
