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首据石とはもしや……
馬洗池の脇を抜けると、道は二又に分岐している。そしてその傍に気になるものが……。
「首据石」? もしや浅井長政の? と思ったが違った。長政の祖父・亮政の時代に、内通した家臣を誅殺しその首を晒した石だった。長政が切腹したのは、分岐から脇へ進み、しばらく行った先の赤尾屋敷だ。
赤尾屋敷の背後には、見上げるような切岸。この上が「本丸」や「大広間」だ。
織田軍に城内に攻め込まれた際、長政は本丸から討って出たものの退路を絶たれ、やむなくここで自刃したと伝わる。覚悟していたとはいえ、想定外の最期となったのだ。
生きたまま救出された妻・お市とその子である三姉妹、嫡男の万福丸がいたのは頭上の大広間あたりだっただろうか。切岸を隔てて今生の別れだったとすると、実に傷ましい。
本丸の先に小谷城最大の見所
二又まで戻り、本丸方面へ。するとすぐに黒金門の石垣が見えてくる。両脇の斜面にも巨石が散在している。往時はズラリ石垣だったのだろう。
門を抜けると大広間。ここが事実上の主郭だろう。それにしても広い。幅は30m以上、奥行きは100m弱はありそうだ。縦断した先には、今度は崩れていない見事な野面積みの石垣が現れた。
この上が本丸だ。石垣の脇から登り、反対側を覗き込んで息を呑む。
この大堀切のハンパなさは、下に戻り脇から見上げるとさらに際立つ。落差もさることながら、幅もスゴい。全国に数多ある山城の大堀切でも屈指の規模だろう。







