観光の目玉は「城ではなかった」
北に木曽川と面する天然の要害・犬山城。江戸時代には徳川御三家・尾張藩の領内だったものの、成瀬氏が犬山城に入って事実上の支藩として一帯を支配した。
名古屋とは南北にほぼ一直線、約25kmの距離。いまでは名鉄電車で30分だが、江戸時代には丸一日かけて歩いて行き来するような関係だったのだろう。尾張一円を治める要のひとつが、犬山だった。
さらに犬山は、北を流れる木曽川舟運の拠点でもあり、経済的にも発展したという。このときの城下町の中心が、お城の前にまっすぐ伸びる本町通りの城下町。明治時代には養蚕で繁栄し、1912年に犬山駅が開業してからはいよいよ本格的に観光都市として発展してゆくことになる。
最初に観光の目玉になったのは犬山城……というよりは、木曽川の川下り(戦前は名古屋城にも天守閣が残っていた)。犬山よりも少し上流、現在の美濃加茂市付近から犬山までの約13kmの峡谷を、ドイツのライン川になぞらえていつしか「日本ライン」と呼ぶようになった。そのライン下りが、犬山周辺観光の最大の目玉になったのだ。
といっても、当初は鉄道が犬山までしか通っておらず、ちょっぴり不便をかこっていた。そこで名鉄は現在の広見線を開通させた。以来、ライン下りは東海地方屈指のレジャーになり、ライン遊園駅(現在の可児川駅)から乗船場まで1.5kmの道のりはたくさんの人でひしめき合ったのだとか。
さらに、1925年に名鉄は犬山城の東側に犬山遊園地をオープンさせる。戦後も観光地としての犬山は一層発展し、1960年には日本モンキーパーク、1965年には博物館明治村、1983年にはリトルワールドと、名鉄は次々にレジャー施設を犬山周辺にオープンさせている。
こうしていつしか犬山は、名鉄沿線を代表する観光地になったのである。なぞらえるならば、東武の日光・鬼怒川、近鉄の伊勢志摩、阪急の宝塚、そして名鉄の犬山。
東海地方の私鉄の雄・名古屋鉄道が開発した、一大レジャーランド・犬山は、国際会議観光都市にも選ばれており、実のところ日本を代表する観光都市なのだ。





