山口 哲学もそうなんですが、ヘーゲルとかハイデガーとか一人の哲学者だけドリルのようにゴリゴリ掘り込んでいっても、なかなか複数の視点って持てないんですよね。哲学をちゃんと勉強するなら、哲学史がいい。哲学史というのは、「世界を最も上手に説明できる言説」や「世界を最も上手に説明できる人物」についてのトーナメントの歴史なんです。ある時点まで非常に説得力のあった説明ではうまく説明できない現象が出てくると、新しい説明が出てきて、より説明力のあるものが支配的になる……ということを繰り返しています。

 たとえば、デカルトが生きていた時代は、プロテスタントとカトリックが30年戦争といわれる血みどろの争いをやっていて、どっちが正しいかっていうことを争ったわけですよね。それまで多くの人がキリスト教の説明によって世界を理解していたのが、とてもじゃないけど受け入れられない現実が目の前に現れている。「だったら全部チャラにして考え直してみようじゃないか」というデカルトの言説を、その時代のコンテキストを抜きにしてポンッと目の前に置いて「考えている自分がいる、それは確実だ」と言われても「まあ、そりゃそうだよね」としか反応できません。哲学はその時代のコンテキストを抜きにしたら理解できない。だから哲学はそもそも哲学史になるんです。

 これは哲学に限らないと思います。どの学問領域でも歴史的な視点は重要で、たとえば科学史家のトーマス・クーンは、ハーバードで科学の歴史を研究していたから、「パラダイム・シフト」という概念を提唱できたわけですよね。

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「東大クイズ王」と日本の教育カースト

山口 歴史の勉強のアプローチはいくつもあります。年号や用語を記憶するのは、そのアプローチの一つに過ぎないのに、学力テストの評価軸がそこしかないから、歴史の勉強が嫌になってしまう。

 年号とかやたら覚えて、知識の量で人にマウントを取るという方向に勉強の目的を置いてしまうと、完全に違う方向に行ってしまいますよね。ところが、21世紀も4分の1を過ぎたのに、日本の教育システムは全然変わらない。相変わらず「先生がつくった問題に一番早く正確に解答できるやつが偉いんだ」みたいな風潮があって、「東大クイズ王」みたいなのが頭のいい人の頂点のように思われている。20世紀末から全然アップデートが進んでいませんよね、この国は。

写真はイメージ ©︎Trickster/イメージマート

深井 クイズ王は遊びならともかく、あれが教養のメインストリーム、頭いい人のメインストリームみたいな風潮には自分も反対です。

 教科書的な知識の量を増やすことが勉強なのではなくて、専門的で狭い領域の知見をつなげて横断的に考察することが、探求であり、勉強なんだと思っています。歴史って、そういう横断的思考にもっとも向いた領域です。すべての出来事がクロスオーバーしているわけだから。

山口 日本の教育システムは、テストの点数が高いこと、つまり与えられた問題に正解を出せることだけが重視される。この構造を変えていかないと、根本的には変わらないので、なかなか難しいですよね。

人文知は武器になる (文春新書 1529)

山口 周 ,深井 龍之介

文藝春秋

2026年4月17日 発売

次の記事に続く 「シンゾー、日本はロシアと戦争したって本当か?」トランプに聞かれた安倍元首相の答えは…“歴史を知らない”政治のリーダーたち