個性的な店がいくつも立ち並ぶ

 弦巻通りは昭和になってからできた。95年前の1931(昭和6)、池袋の丸池から神田川に向かって流れていた弦巻(つるまき)川に(ふた)が掛けられたのが発端だ。川は暗渠(あんきょ)の下水道になり、その上に区道の「弦巻通り」が整備された。幅員はほぼ6m以下という狭い道路だ。それでも次々と商店ができ、雑司ヶ谷を代表する通りになった。

弦巻通りの商店街。この辺りが最も店が多い(豊島区)

 赤丸ベーカリーの100mほど先にある「肉の大久保」は、大久保宏泰さん(65)が経営している。尋智さんと同級生だ。

「以前はびっしり店が建ち並び、通りいっぱいにお客さんが歩いていました。『池袋サンシャイン60通り』みたいでした」と話す。

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 子供の頃から住んでいる「としま案内人 雑司ヶ谷」の磯田暉子さん(85)は「通り沿いにいくつも商店街がありました。お風呂屋さんを中心に、お菓子屋さん、乾物屋さん、お肉屋さん、八百屋さん、薬屋さんという感じです。近所付き合いもあるから地元で買うのよね。一通りの物はそろいました」と振り返る。磯田さんは銭湯がなくなると核がなくなり、店が減っていったと考えている。大久保さんも「スーパーなどに流れましたね。ぱらぱらとしか店がなくなった」と話す。スーパーより安い店が多いのに残念なことだ。

大久保宏泰さん。コロッケを注文すると、その場で揚げてくれる(豊島区、肉の大久保)

 赤丸末千江さんは「それでもすごく個性的な店ばかりです。お客さんどころか、メディアを集める力を持っている店が結構あります」と話す。例えば、鉄板焼きの煎餅店「小倉屋製菓」。経営者は尋智さんの先輩だ。製造工場で販売しているので、入り口の戸をガラッと開けると、白い帽子を被った店員が忙しそうに働いている。

小倉屋製菓では煎餅を工場販売している(豊島区)

「みんな地元育ちで親の代から仲が良く、お客さんに『あちらの店に行ってみたら』と紹介し合ったりしているのも、雑司ヶ谷ならではです」と末千江さんが語る。話しているうちに、ランチを食べた寿司店の店主は末千江さんの先輩だと分かった。なぜ寿司本来の旨味が感じられる握り方なのか、なぜ沖縄に縁があって三線(さんしん)が上手なのか、そして夜はゴーヤーの天ぷらがメニューに入っているのか、などという秘密が次々に明かされる。夜の営業時間にも行ってみたくなった。

 鬼子母神の祭り「御会式」でつながり合っているのも絆の強さだろう。