95年前に消えた東京の川がある。池袋から神田川に流れていた「弦巻川」だ。関東大震災後、辺りの都市化にともない蓋をされた。暗渠の下水道になったのである。現在は陸上にほとんど痕跡がなく、往時の流路も全ては分からない。しかし、豊島区の雑司ヶ谷では地下に“弦巻川”が背骨のように流れていて、今も重要な存在であることに変わりはない。ただ、この地下河川は再々水害を起こし、18年前には大惨事が発生していた。下水道になっても、やっぱり川なのだ。
JR・西武・東武・東京メトロと4社の8路線が乗り入れるターミナル「池袋駅」。そのすぐ西側にかつて「丸池」という湧き水の池があった。「池袋」という地名のもとになった、ともいう。
ここを源流としていたのが弦巻川だ。(全3回の1回目/つづきを読む)
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川は武蔵野台地の東端にうがたれた「雑司ヶ谷」を蛇行し、3.6kmほど先にある「江戸川橋」の付近で神田川に合流していた。
「弦巻」という名称の由来は平安時代にさかのぼるとされる。1919(大正8)年に発行された『高田村誌』には、源義家(八幡太郎)が奥州出兵の帰路この川のほとりで弓弦を巻いたことから名づけられたという説や、源義経が鶴が群がっているのを吉兆として「鶴舞川」と名づけたという伝承が紹介されている。
戦前まではホタルの名所だった
豊島区は現在、日本一の人口密度を持つ密集地だ。しかし、1932(昭和7)年に旧東京市に編入されて区になるまで、雑司ヶ谷の辺りは高田町という自治体で、東京府の北豊島郡に属していた。その前の1920(大正9)年までは高田村である。畑が広がり、弦巻川は農業用水に使われていた。
「原ッパがあり小さな段差があって滝になっていました。昔からこの辺はホタルの名所でした」「水はヒザぐらいまでの深さでした」などという証言が、1993(平成5)年に発行された地域情報誌『坂まち通信』第2号に掲載されている。
『豊島の歳時記』(豊島区発行)には、春の七草のセリを摘みに川沿いを歩いたという話も載っている。
のどかな田舎だったのだ。


