95年前までは確かに存在した。暗渠(あんきょ)化されて下水道になった今も地下で生きている。なのに、川だった時の正確な流路が分からない。東京都の豊島区から文京区に流れていた弦巻(つるまき)川である。都市化で分からなくなった流路を調べられないか。知られざる地域の魅力を解き明かして伝えられないか。そんな取り組みをしている人々がいる。住民ボランティアの「としま案内人 雑司ヶ谷」だ。

東京音大前の弦巻通りで。左から音羽智子さん、川崎正士さん、磯田暉子さん。「弦巻川らしい場所で写しましょう」と川崎さんがここを選んだ(豊島区)

 弦巻川の下水道工事が始まったのは1931(昭和6)年のことだ。暗渠化したとは言え、蛇行していた川にそのまま(ふた)をしたわけではない。実際の川を基本にしながらも、地下で結びやすく、地上は道路(現在は幅員がおおむね6m以下の区道)を通しやすいルートが選ばれたと見られる。弦巻川の流路と、下水道化された後の「雑司ヶ谷幹線」や、その上を通る区道「弦巻通り」は微妙に違う。(全3回の2回目/つづきを読む

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地域から忘れられつつある「川の記憶」

 弦巻通りに店を構えている「赤丸ベーカリー」の店主、赤丸尋智(ひろのり)さん(65)は「この辺りでは店の裏の方を流れていたようです。暗渠化されて、道路ができた時、当時は和菓子屋だった店をゴロゴロと曳家(ひきや)で動かしたと聞きました」と話す。

 現在、赤丸ベーカリーの裏は住宅が密集していて、川の痕跡など全くない。近くで尋ねると、「えっ、こちらを川が流れていたの? 弦巻通りは川みたいに曲がっているから、川そのものが下水道や道路になったと思い込んでいました」と驚く人もいた。

弦巻通りに面した赤丸ベーカリー(豊島区)

 いったいどこを流れ、どんな川だったのか。調査・案内をしている「としま案内人 雑司ヶ谷」(23人)は、豊島区役所が催したボランティアガイド養成講座の元受講者だ。会長の音羽智子さん(68)は「講座の修了後、豊島区から『援助はしません』と言われたのですが、『自主的に活動しよう』と残った人で続けてきました」と語る。

 雑司ヶ谷霊園などいくつかの案内ルートがあり、『消えた川「弦巻川」を歩こう!』はそのうちの一つだ。調査の中心になったのは、副会長の川崎正士さん(80)と、企画担当の磯田暉子さん(85)である。