あちこちに“弦巻川の痕跡”が残る
東京音大を過ぎ、大鳥神社に差し掛かると、弦巻川の暗渠化工事の写真が残っている。付近では下水道化される前の1925(大正14)年、弦巻川の周囲の草原のような場所で、青年団が宝探しを催した写真もある。
下水道の完成は人の流れを大きく変えたようだ。その証拠に大鳥神社は川が道路になってから社殿の向きを変えた。#1で紹介した冊子『ふるさと雑二町会』には、当時を知る元宮司の談話が掲載されている。「お宮は川を背にして西を向いていました。裏が川で見えないので、よく泥棒が賽銭箱を川の中州みたいな所へ落っことして、職人に上げてもらいました。盗もうと思って下で工作したのでしょう、何回もやられました」などという内容だ。
都電荒川線を越える。この辺りの流路は現在の下水道と少し離れている。元の川沿いには江戸時代に橋を架けた記念の石柱がある。隣は清立院。音羽さんは「ここには雨乞いの松があります。よく洪水になって軒下に舟を吊るしていた家もあったと聞いたのに、不思議ですよね」と首を傾げた。
その少し先で「どれだけ弦巻川が大切に思われていたか、分かる場所があります」と音羽さんが案内してくれた。弦巻通りから少し住宅街に入り、まさに川が流れていただろうという地点だ。「ここに弦巻川ありき」。集合住宅の植え込みの壁に黒々とペイントされていた。
そこから赤丸ベーカリーなど商店が集まっている界隈を過ぎると、不思議な空間に入る。道路の左は「豊島区雑司が谷」、右は「文京区目白台」だ。磯田さんは「弦巻川が区境になったからでしょうね」と話す。鬼子母神は豊島区なのに、鬼子母神像が見つかった「清土鬼子母神」は文京区。日本女子大は敷地が両区に分かれている。


