池袋の由来となった池はどこ?
まず、湧水でできた源流の丸池。川崎さんは「江戸時代の1828年に完成した『新編武蔵風土記稿』に『五間余』(1間=約1.8m)とあり、10mぐらいの池だったと考えています」と語る。
「元池袋史跡公園」(約168平米)という小さな公園がある。高いビルに囲まれた一角で、「池袋地名ゆかりの池」「成蹊学園発祥之地」といった碑が置かれている。成蹊学園は現在、都内でも武蔵野市吉祥寺に所在しているが、開学の地は池袋だった。敷地内にあった丸池は「成蹊池」と呼ばれ、磯田さんは寒中水泳やたまった泥をかき出す「かいぼり」が行われた様子を写真や絵葉書で確認している。
だが、豊島区役所の公園緑地課は「公園は丸池の跡ではなく、元は東武鉄道の土地です」と話す。園内には水場もない。そもそもこの辺りには多くの池があったらしいが、これらの痕跡も全く見当たらない。
豊島区が同公園を紹介したHPには「下水道工事のため隣接する現在の場所と土地を交換」と書かれており、川崎さんらは「隣接したビルの下付近に丸池があったのではないか」と見ている。また、HPに書かれている「下水道工事」も、弦巻川が地下化された「雑司ヶ谷幹線」ではないようだ。ややこしくなるが、公園の横が起点になっているのは「第2雑司ヶ谷幹線」である。雑司ヶ谷幹線は洪水対策のために流下能力の増強が求められ、都は地下河川をもう1本建設した。公園ができたのは1998(平成10)年。ちょうどその後に下水道工事も完了している。では、雑司ヶ谷幹線の起点はどこなのか。「下流」に向かって歩く。
弦巻川は池袋駅の方ではなく、斜めに南下していた。JR線の下を潜り、西武線のガード下も通って、区道沿いに雑司ヶ谷方面へ進む。
この西武線のガードを越えた区道下が雑司ヶ谷幹線の起点だ。なぜ丸池につながっていないのか。どんな経緯があったにせよ源流の丸池は消滅し、家々や事業所の汚水を流すのが目的になったので、今となってはつなぐ必要はない。


