論点をぼかしていないか。学校への「責任を取って死ね」の電話や、列挙したデマの数々については触れていない。「健全な批判や自然な怒り」とは明らかに違うものを私は指摘しており、この件で報道量が多い産経新聞がこの問題だけは報じていない不思議を書いたのだ。
「論点そのものより、“属性”の話が前面に出てくる」
さらに、産経・皆川氏の《あえて言えば「加害者側」の背景を報じるのは当然であり、》という物言いには危うさも感じた。
まだ事故原因の捜査は続いており、過失の有無も含めて確定していない段階である。船長自身も亡くなっているので捜査は長期化すると報道されている。それにもかかわらず「あえて言えば」と前置きしながら「加害者側」という言葉を置く。これは結果として、「攻撃されても仕方ない」という空気につながってしまわないか。そこには慎重さが必要ではないか。
皆川氏は私のコラムを《全体を要約すると結局、「運航団体や平和学習を批判するな」としか読めない》と書いているが、雑すぎる。私は「平和学習を批判するな」などとは書いていない。生徒を預かる安全管理がなぜこれほど脆弱だったのかを問うた。最も重要なのは事故原因の検証と再発防止だと再三書いている。
調べてもらえばわかるが、私は過去コラムで産経新聞だけでなく、論調が対照的に見える朝日新聞についても繰り返し書いてきた。新聞読み比べとは、本来そういうものだからだ。にもかかわらず皆川氏のコラムでは、「イデオロギー」という言葉が現れた瞬間に、話がどんどん「どっち側か」という方向へ流れていく。「産経嫌い」「ネトウヨ嫌い」「赤旗芸人」といった具合に、論点そのものより、“属性”の話が前面に出てくる。
次も重要だ。沖縄タイムスは、5月1日に読者投稿欄に掲載した《「誹謗中傷にめげず、抗議行動を続けてほしい」と天国から声が聞こえる》という趣旨の表現について、「亡くなった方々の意思を断定する不適切な表現」だったとしておわびを掲載した(3日)。
掲載責任は新聞社側にあるとも認めている。この件も象徴的だ。事故をめぐる議論が大きくなるほど、当事者や遺族の思いそのものが置き去りにされてしまう危うさがあるからだ。